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2001年夏、中村剛也の衝撃 “大阪桐蔭ブランドの頂点に立つ男”が放ったすさまじい打球

文春野球コラム ペナントレース2022

2022/03/25
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大阪桐蔭ブランドの頂点に立つ男

 中田翔(巨人)、2年生で浅村栄斗(楽天)がいた07年、藤浪晋太郎(阪神)が大黒柱となり、甲子園で春夏連覇した12年、根尾昂(中日)、藤原恭大(ロッテ)らを擁して2度目の春夏連覇を果たした18年……。

 そのどれでもない。

「うーん。剛也の代(01年)か、1998年かなあ」というのが答えだった。

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 水田圭介(元西武など)らがいて強打のチームだった98年も01年も甲子園には出ていない。01年夏、中村は大阪大会8試合で6本のアーチをかけた。しかし、決勝で上宮太子に延長戦の末に敗れた。中村の最後の打席は延長10回、敬遠四球だった。

 西谷監督にとって、中村らを全国へ導けなかった悔しさが、のちの常勝チームを作り上げる原動力となっている。

 高校時代の中村の印象を、同級生の岩田はこんな風に語る。

「剛也を最初に見た時、えらいスイングスピードが速いなって。でも、力んでる感じはなくて。めっちゃ守備もうまいし、ハンドリングもうまい。最初はキャッチャーやったんすよ。僕が初めて大阪桐蔭でピッチングをしたときのキャッチャーが剛也やった」

「ほわーんとしてるように見えるじゃないすか。でも、相手に隙があったら盗塁する。当時、盗塁数はチームの中で、剛也が2番目に多かった。西岡より多かった。めちゃめちゃセンスがあるんすよ。なんでも器用。たぶん、バントもめちゃくちゃうまい」

 岩田が言うには、この頃の大阪桐蔭は「PL学園に行きたくても行けなかったやつ」が多かったのだという。

 たしかに、同じ年のPLには、今江敏晃(元楽天など)、朝井秀樹(元巨人など)、桜井広大(元阪神)ら、そうそうたるメンバーがいた。西谷監督からも「(大阪桐蔭に来てほしかった)今江にPLにいかれたから、うちは中村だった」と聞いたことがある。

 それでも、プロで長く活躍したのは、昨季まで阪神で投げた岩田や、今も主力としてプレーする中村のほうだ。

 球界を見渡すと、今やプロはもちろん、社会人野球や大学野球などでも、「大阪桐蔭」はナンバーワンのブランドと言ってもいい。その中で、現役選手の頂点が中村剛也と言って間違いないだろう。

中村剛也 ©文藝春秋

21年前を知り、「今」を伝える

 目標とする通算500本塁打まではあと58本に迫る。引退後は解説者、評論家としても活動する岩田はこんな風にエールを送る。

「500本塁打、見たいっすね。達成するには、けがのないようにしないといけないので、その辺のコンディショニングを整えながらね。大阪桐蔭は『打』のイメージが強い。それを象徴するようなバッターなので、頑張ってもらいたいですね。499本になったら、球場に行きたいな」

 さて、中村よりも年齢が一つだけ上の私は、新聞社でライオンズを担当しながら、野球報道の責任者的な立場になった。サトシこと山崎智は老舗雑誌「報知高校野球」の編集長を務める。ともに、やりたかった仕事だ。

 つい先日、サトシと酒を飲みながら語り合った。「おかわり君のあのフライ、すごかったよね。あと、あのおっさんとおばちゃんのやりとりもやばかったな(笑)」。

 野球の楽しさ、魅力を伝えることを仕事とする我々ふたりにとって、球史に残る大打者の高校時代を見られたことは、かけがえのない財産となっている。あの日、藤井寺に行っていなければ、この記事も書けなかった。たとえ、細かいことは覚えていなくても……。

 オープン戦を見る限り、今年も中村は打ってくれそう。さあ、開幕。2022年も彼のホームランに酔いしれよう。

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