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能見と川口が描いた人生のコントラスト

 当時、能見からの話を聞きながら、僕の頭にはもう1人のサウスポーの顔が浮かんでいた。その頃、プロ入り7年、オリックスでもがいていた能見の同級生、川口のことだ。実は脱サラした直後から、川口を追いかけていた。

 97年の夏の甲子園準優勝投手。斎藤佑樹が更新するまでの夏の甲子園大会最多、820球を1人で投げ抜いた姿に惚れ込んだ、元々のファン。こちらも甲子園のマウンドが似合う美しいサウスポーだった。ドラフトでは4球団が1位指名で競合し、本人が希望していたオリックスが指名権を獲得。

 しかし、順調だったのはここまで。1年目のフォーム修正で投げ方がわからなくなり、まったくストライクが入らなくなった。その後はイップスとも闘いながら、崩れていく川口を4年、5年と追いかけた。

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 能見の制球が安定し始めたといった高卒5年目。川口も腕の出所を下げ、ようやく普通にストライクが取れるようになった。秋には1軍で初先発も経験。浮上の兆しが見え、能見が社会人で開花した6年目には、オープン戦で一定の成績を残した。

 しかし開幕1軍を逃すと、以降、再浮上の機会は巡って来なかった。7年で自由契約。

 すると西武ドームで行われたトライアウトで川口が投げた8日後、能見はドラフトで阪神から自由枠での指名を受けた。関西ではテレビ、新聞が大々的に報じたニュースを見ながら、まさに人生のコントラストを感じたものだった。

 あれから18年。引退後の川口は家業を手伝ったのち、女子プロ野球の指導を経て今春、事務職員、野球部コーチとして母校へ戻ってきた。平安の練習グラウンドで久しぶりに話を聞くと「壊れたままだったら人に教えられなかったですけど、プロ5年目に普通に投げられるようになったんで教えることが出来る。今となっては失敗したことが僕の財産です」と明るく語った。雑談の中で今なお現役で投げ続ける“同級生”の話題を向けると「頑張ってますよね」と短く一言。様々な思いが蘇ってくるのだろう、と想像した。

「人生はいろいろ。どうなるかわからないですよ」

 能見の今季初登板は6月12日の交流戦。古巣阪神相手に1イニング、10球を投げ無失点。登板後にはツイッターで「能見さん」がトレンド入りした、とニュースになっていた。

 その投球は録画して夜遅くに観戦。いいものを見た、次もすぐ見られるだろう、と気持ち良く眠ったが、2日後に登録抹消となり、再登録は今月6日。

 この日は試合開始からテレビで見ていたところ、1点ビハインドの8回に登場。気分的には不意を突かれた格好で、小学生の娘を隣の部屋へ追いやり、1球、1球を気合を入れてみた。結果は四球、送りバント、空振り三振のあと、愛斗にレフト前へしぶとく運ばれるタイムリーを許し、最後はファーストゴロ。1回1失点も、ストレート系中心に存分に腕を振っての若々しい投げっぷりだった。

 “あの時”の取材でも「とにかく腕を振ること。こっちが振らないと向こう(打者)も振らないから」とピッチングの生命線を語っていた。この夜も能見らしく腕を振り、そこからまだしっかり勝負できるストレートにフォーク、スライダー、ツーシーム。老いに抗いながらの渾身の17球にはやはり味わい深いものがあった。

 この6日後には川口がコーチを務める平安が京都府大会の初戦を突破。甲子園を目指す戦いをスタートさせた。春先、川口に話を聞いていた時「ほんとに人生はいろいろ。どうなるかわからないですよ」と実感を込めて語る場面があったが、まさに、である。

 3羽ガラスの3番手だった男が今も勝負のマウンドへ上がり続けている。そして、その人生もここからまたどう展開していくのか。衰え顕著、7年後には還暦の僕が心配しているわけではないが、出来ればこの先も2人の美しきサウスポーの近くをウロウロしながら、時に同級生である高校球界の名将の周辺も行き来しながら、江戸時代なら余生の日々をほどほどには楽しみたいもの。これが今のささやかな願いである。

 ひとまずは、まだ50試合以上の戦いを残している中、今シーズン、あとどれくらい“能見さん”のピッチングを見ることが出来るのか。疲れた大阪のおじさんライターに力を与えてくれるような、渾身の投球を大いに楽しみにしている。

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