「今日の試合でカープが勝ったら、オギリマさんは書く」
2対2のまま9回の攻撃が終わり、延長戦に入ることが確実になった頃、編集長が突如こう切り出した。
「じゃ、こうしましょう。今日の試合でカープが勝ったら、オギリマさんは書く、それでどうですか」
自分の運命をカープの勝敗で一方的に決められるって、何かどっかで見たようなシチュエーションだな、ああそうか村上龍の『走れ!タカハシ』で高橋慶彦が満塁ホームランを打ったらあなたの勝ち、とおばさんに一方的に言われた少年みたいだな、と思い、私は曖昧に返事をした。「逆転のカープ」と呼ばれた3連覇時代ならともかく、今のカープにはここから勝ちに行けるような確信は持てなかったから。
10回裏、カープのマウンドに矢崎拓也が上がると、店内のあちこちから「矢崎」「矢崎か」「矢崎じゃあねぇ」という消極的な声が聞こえた。いやいや何を言っているんだ、矢崎のあのふてぶてしいとも取れる自信に満ちた表情を見てくれ、となぜか私は一人で矢崎擁護に回った。ここで矢崎が打たれてカープがサヨナラ負けしたら、望み通り「もう書かない」という結果を得られるはずなのに、私はやはりカープが負けることを願えなかった。
矢崎は表情一つ変えずに三者凡退に抑え、飄々とマウンドを降りて行った。私が矢崎の投球に注目している間、編集長はNさんと「自信を持って仕事ができているか」という話をしていて、「自信なんかない、いつも心の中に二人の自分が葛藤している」と編集長は言った。編集長という立派な人でもそうなのか、と少し意外に思った。
店内は総立ち、歓喜、私は泣いた
11回表。マクブルームが外野フライ、坂倉将吾が四球、堂林翔太三振、小園海斗が内野安打で二死1、2塁となり、代打で長野久義が登場した。点が入るならここかも知れない。店内もにわかに盛り上がりを見せた。長野は粘って四球を選び、二死満塁。バッターは9回から守備で入った磯村嘉孝。
店内の声はさっきの矢崎と同じで、「磯村」「磯村か」「磯村ねぇ」。いやいや何を言っているんだ、磯村パンチは当たると痛ぇ……と擁護する暇もなく、初球を叩いた磯村の打球は、エンジン全開でフルパワーで東京ドームの左中間スタンドに吸い込まれたのである。打った瞬間、磯村は大きく口を開けてガッツポーズをした。普段から長いと言われている磯村のアゴは、より一層にょーんと伸びて、東京ドームの照明に白く照らされた。そのアゴは自信に満ち溢れて美しかった。
店内は総立ち、歓喜、私は泣いた。打ったのが長野でも松山でも會澤でも坂倉でもなく、磯村。長らく一軍と二軍を行ったり来たりしていて、なかなかレギュラー捕手の座に就くことができない磯村だったからである。
その後、11回裏は中﨑が1点を失ったものの、6対3でカープが勝利した。運ばれてきたお好み焼きにはマヨネーズで「ナイスゲーム おめでとう こいほー」と書かれ、私は編集長にこう告げた。
「磯村で書きます」
◆ ◆ ◆
※「文春野球コラム ペナントレース2022」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト http://bunshun.jp/articles/56152 でHITボタンを押してください。
この記事を応援したい方は上のボールをクリック。詳細はこちらから。