札幌ドームで戦う最後のシーズンなんだ……と感じさせるイベント「FIGHTERS CLASSIC」が始まった。選手は2004年の北海道移転から7年間使用したユニホームの復刻版を着て戦っている。やっぱりこのユニホームがまとっているのは、2006年の日本一をはじめとした栄光の歴史だ。今の選手たちが着ていても強く見える。甲冑をイメージしたという左右非対称のデザインに最初は驚いたものだけど、あっという間にアマチュアや少年野球のユニホームでも大流行したものだった。

 札幌で育った「ファンクラブ会員兼選手」で、このユニホームに憧れていたはずの今川優馬外野手は、いつも以上の笑顔でとても楽しそうだ。そして上沢直之投手や松本剛外野手はあまりにも似合いすぎていて、このユニホームを着たことあったっけ? と真剣に考えてしまったほどだ。

 実際には、2012年以降に入団の彼らはこれを復刻以外で着たことがない。このユニホームから新しいユニホームへの変更が発表されたのは2011年のキャンプイン直前で、2010年の年末に行われた斎藤佑樹投手の入団発表が、公の場で着用された最後だったのではないかと思う。

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 今回は、このユニホームを入団発表だけとはいえ、最後に身につけた世代のことから書きたい。斎藤と同期で、ドラフト3位で東洋大から入団した乾真大投手がこの夏、現役を退いたのだ。

 乾は2016年の開幕直後、大累進内野手とのトレードで巨人に移籍し、2年で戦力外通告を受けた。その後独立リーグのルートインBCリーグに身を投じ、富山GRNサンダーバーズ、神奈川フューチャードリームスと投げ続け5年間選手生命を伸ばした。

 NPBで投手の引退登板といえば、打者1人、それも三振を奪うのが半ばお約束になってしまっている。ところがこの日、乾の気迫のこもった投球はイニングをまたぎ、続いていった。スタンドから見守った筆者も、どこまで行くのかと不思議に思ったほどだ。日本ハムに入ってきた当時は最速146キロ左腕という触れ込みだったはずが、スコアボードには何度も148キロが表示された。7回2/3を投げ10奪三振。試合後は予定されていた引退セレモニーの前に、ヒーローインタビューに指名されたのもうなずける快投だった。

日本ハム時代の乾真大

引退試合でガチ勝負した乾真大「全て出すことができました」

 乾は本塁付近に用意されたマイクの前に立ち「たくさんの方との出会いに恵まれた現役生活でした。正直NPBで思ったような成績はあげられませんでしたが、野球ができなくなると思った時に声をかけていただき現役生活を伸ばせたことに感謝しています」と言葉をつむいだ。そして時折、感極まったように言葉に詰まりながら「僕の選手としての活動は終わります。思い残すことなく、試合、練習で考えてきたことを今日、全て出すことができました」と続けた。

 日本ハムに同期入団し、一足先に現役を退いた斎藤佑樹さんや谷口雄也さんからのコメントが読み上げられ、サプライズゲストとして花束を持って現れたのは、同学年で今も栃木ゴールデンブレーブスで投げ続ける吉川光夫投手だった。皆、鎌ヶ谷の球団寮でともに過ごした仲間だ。球場には様々な球界関係者から花が届いていた。栗山英樹・前監督や、東洋大の先輩にあたる大野奨太捕手(現中日)、なぜか杉谷拳士内野手からのものもあった。乾の言葉通り、出会いと縁を感じる暖かいセレモニーだった。

 乾が富山入りしたころ、石川ミリオンスターズでコーチや監督を務めていた武田勝さんに「乾がすごいんだよ。ハムにいた頃とは全然違うよ」と言われたことがある。日本ハム時代の乾について回ったのが制球難との評価だった。2軍では威力抜群の直球とスライダーで押さえてしまうのだが、1軍でリリーフするとどこか窮屈そうに投げていたものだ。

 それが一変したのはなぜか。乾に聞くと、富山入りを機に考え方からフォームまで、全てを変えたのだという。とにかくストライクを投げろとのアドバイスを胸に、体の使い方を徹底的に研究した。動作の再現性が上がったのだろう。不器用な選手が、崩れても立て直せるようになった。打者の動きから狙いを外して投げられるようになった。そして引退するその日まで、うまくなり続けることができたのだという。