先輩農家が語る戸田の「ポテンシャル」
そこから2シーズン、戸田はプロ野球でプレーした。復活を期待してくれた球団への感謝は尽きない。親身になってくれたスタッフのサポートにも応えたかった。しかし、万全の状態で投げられる試合など、ごく僅かだった。1年1年が勝負だった。1日1日が必死だった。
「このままだと、野球が終わったら、自分には何も残らない」
トレーニングと並行して、自分の内面に問いかける時間も多くなっていった。
そして、2022年10月、戦力外通告を受けた。ただ、戸田の生来の明るい性格は変わらなかった。ささやかな慰労会を設けたが、その場でも、戸田は純粋な目で、「未来」を語っていた。
「やはり、あのときから、人生の選択肢の一つに『農業』はありました。自分で育てたものを食べることができる。しっかり作物を育てれば、食べるものに困りはしないわけですよね。それに、僕は、体を使うことが大好きですから」
そこからの行動は早かった。瀬戸内海を一望できる場所に、土地も借り受けた。戸田は、雑草を抜き、土地を耕し、レモン栽培の一歩を踏み出そうとしている。
ここでも、「チームメイト」に恵まれた。近所の人は、彼を快く受け入れている。
「いつでも連絡してきて」
そんな先輩農家の言葉もありがたい。
指南役も見つかった。近隣の甲斐農園である。レモンの収穫には最短でも3年はかかると聞く。甲斐直樹さんは、その仕事の厳しさも知るが、戸田の「ポテンシャル」も実感している。
「我々の仕事は、体力が基本です。戸田さんは身体能力も高いわけですから、これは大きいです。それに、彼は有名な元・アスリートです。その発信力で広島レモンを広める力があると思います。広島県はレモンの生産量日本一ですから、戸田さんの活動を通じて、全国に知ってもらいたいです。彼ならではのPRや販売の姿は、我々にも刺激を与えてくれるだろうと楽しみにしています」
東広島市安芸津町、海からの陽を受けながら、戸田は土に手をやった。
このあたりは、鉄などのミネラル分を含む、水はけの良い土壌として知られている。安芸津町のじゃがいもは、全国区のブランドである。
プロ11年、「健康」の大切さは痛感している。少年少女に野球も教えたい。歓迎してくれた地域も盛り上げたい。もちろん、カープファンへの感謝の思いもある。
29歳。その鍛え上げた「軸足」は、肥沃な赤土を踏みしめたばかりである。
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