まずは「ライターあるある」をひとつ。
【長い原稿より、短い原稿のほうが書くのに苦労する。】
「好きなだけ書いていい」と言われればスラスラと書けても、文字数に限りがあるなかで必要最低限の内容をこぼさずに書き切るのは難しい。あれこれ推敲しているうちに、あっという間に締切寸前なんてこともよくある。なんとか収めたと思っても、読み返してみると「あの内容が入らなかったな……」と後悔することもザラである。
ましてやTwitterの140字以内という文字数のなかで、万人に誤解を受けることなく表現するのは至難の業だ。文章を書くことを生業としていても、自分のツイートに対して思わぬ角度から“牽制球”が飛んできて驚かされることがある。
かといって全方位にエクスキューズした文章にすれば、読むに堪えない見苦しい文面になってしまう。「不用意なことは書けないな……」と恐れおののき、「ツイートする」のボタンを押すのがためらわれる日も珍しくない。
SNSの普及が進み、「1億総評論家時代」と言われるいま、私だけでなく自分の情報発信行為を見つめ直している人も多いのではないだろうか。
つい先日の巨人・高梨雄平がTwitterで炎上した騒動はとても他人事とは思えず、祈るような心境で推移を見守っていた。
阪神ファンから総攻撃を受けた「ないぴ」ツイート
7月2日、東京ドームで行われた巨人対阪神11回戦は、延長12回の末に2対2の引き分けに終わった。試合後、高梨は自身のTwitterアカウントで次のようにツイートしている。
〈みんなないぴすぎ
ツイート取得できないってなるんだけどどゆこと〉(@yuhei_takanashi より)
みんなないぴすぎ
— 高梨 雄平 (@yuhei_takanashi) July 2, 2023
ツイート取得できないってなるんだけどどゆこと pic.twitter.com/eKQ3hefwyc
一見するとほのぼのとした内容のツイートに、阪神ファンを中心に批判が殺到した。この日、7回表1死一、三塁の場面で登板した高梨は、近本光司に死球を与えていた。初球に投じた146キロのシュートが近本の脇腹に直撃。肋骨を骨折した近本は戦線離脱することになった。
高梨のツイートは、近本離脱でやり場のない憤りを抱えていた阪神ファンに対して火に油を注ぐような形になってしまった。
常に安定した打撃成績を残してくれるリードオフマンの離脱。阪神ファンの痛恨は想像するに余りある。ただし、高梨に阪神ファンを煽る意図があったとはとても思えない。高梨が死球を与えた後も近本は最後まで試合出場を続けており、重症だったことを想定しづらい状況だった。
また、高梨が「ないぴ(ナイスピッチング)」と称えたかったのは、自身の後を継いで2死満塁のピンチを凌いでくれた鈴木康平をはじめとした、ブルペンの仲間だったのだろう。ましてや今季は「魔の8回」がたびたび取り沙汰されるなど、リリーフ陣の不安定さがやり玉に挙がっていたのだ。高梨のツイートからは、そうした苦難を乗り越えて結果を残した同志への誇りが伝わってくる。
とはいえ、わずか30字のツイート、それも大半はTwitterのAPI制限に対する疑問で占められた文章で、高梨の真意を測るのは難しかった。不幸なタイミングで炎上は起きてしまった。
後日、高梨は社会人時代のチームメートであり同期だった糸原健斗を通じて、近本に謝罪。Twitterでは次のように釈明している。
〈先日のツイートで
誤解を招く表現、分かりにくいと
多数ご指摘を頂きました為今後は
(試合後の物に関して)
誰がみても理解しやすい内容、表現(100%は難しいですが)
上記を心掛けたツイートをしたいと思います
タイミングは引き分け、勝ち
昔からですが、自分のピッチングには基本的に触れていません〉
先日のツイートで
— 高梨 雄平 (@yuhei_takanashi) July 5, 2023
誤解を招く表現、分かりにくいと
多数ご指摘を頂きました為今後は
(試合後の物に関して)
誰がみても理解しやすい内容、表現(100%は難しいですが)
上記を心掛けたツイートをしたいと思います
タイミングは引き分け、勝ち
昔からですが、自分のピッチングには基本的に触れていません
高梨の近本への謝罪と釈明ツイートによって、事態は沈静化へと向かった。このあたりは高梨らしいバランス感覚だったと言えるだろう。
断っておくと、筆者は巨人ファンではなければ阪神ファンでもなく、12球団を等しく愛するプロ野球ファンである。高梨とは取材を通して1回だけ会ったことがある。
高梨にインタビューした理由は、私が「奇跡的な経緯でプロ野球選手になった人物」を集中的に取材していたからだった。高梨は社会人2年目のドラフト4カ月前になって、突如サイドスローに転向。言わば「付け焼刃」のサイドハンドとして、楽天からドラフト9位指名を勝ち取っている。当時の社会人チーム内では戦力になっておらず、同年のドラフト指名がなければ翌年は外野手に転向するプランもあったほどだ。