2023年9月20日。オリックス・バファローズはパ・リーグ3連覇を達成した。それだけでも凄いことなのに、このオリックス3連覇は「2年連続最下位&6年連続Bクラス」からの3連覇でありこれはもう唯一無二。空前絶後。日本プロ野球史上もちろん初めての超絶ミラクルな出来事なのだ。
この見事すぎる大逆襲劇を成し遂げた指揮官・中嶋聡は今やプロ野球の歴史に名を刻む名将となったわけだが、そのリーダー像は野球界古来の名将像とは一線を画すユニークかつ斬新なものだ。
中嶋監督の言葉には「嘘」がない(ように見える)
まずその立ち居振る舞いに「大物感」がない。試合中のベンチでも中嶋監督の感情表現は大変豊かだ。喜怒哀楽がはっきりしているわけではないが極めて趣き深い表情を次々と見せるその姿はもはやキュートと言っていいくらいだ。TV観戦しているファンにとってはずっと中嶋監督の表情だけを捉えるカメラが欲しい気分になる。これまでの名将・闘将のようにベンチの奥にどっかと腰を下ろし眉間に皺を寄せたド迫力の表情でベンチを支配する、などという威圧感はどこにもない。そのナチュラルな姿は極めて「令和的」だ。
次に際立つのはその言葉の力だ。中嶋監督の言葉には「嘘」がない(ように見える)。特に中嶋監督自身の感情と乖離がある言葉を発することがない(ように聞こえる)。もちろん本当のところなんてわかるはずもないが、人間が言葉を発する上で大切なことは自分が何を伝えたかったかではなく相手にどう伝わったかだ。人の上に立つリーダーであればその「伝える力」はリーダーの資質そのものと言ってもいいくらい大切なものだ。中嶋監督の「自分に嘘をつかない(ように見える)言葉の力」は異常と言っていい。聞いていて惚れ惚れしてしまうこともしばしばある。
勝敗の責を一身に負うべきプロ野球の監督という職業は、その重責に耐えきれなくなった監督たちに多くの「嘘」をつかせる。
「今日の敗北? 何とも思っていませんよ」
「あそこで打たれた投手の責任でしょうね」
「あのチャンスを逃した四番打者は信頼して出してるのに情けないね」
「色々考えて采配してるんだけど選手が応えてくれない」
「あの選手がいなかったのが誤算でしたね」
様々な監督の言葉の裏に(俺の責任じゃない)(あの選手さえ失敗しなければ勝てたのに)(不安な気持ちを見透かされたくない)(俺の采配が間違っているわけがない)(現役時代の俺はできたんだから今の選手が悪い)などなど口から出た言葉と乖離した本音が見え隠れする。というか隠れた本音がモロわかりの監督がたくさんいる。その虚無の言霊たちは選手のモチベーションを低下させ、ファンの心を冷めさせる。
リーダーの言葉とはそれくらいチームの命運を左右するものだし、どんなに追い詰められた心理状態であっても絶えず言葉の発信を強いられる最前線のリーダーという職業は小手先の着飾った言葉で誤魔化すことなど不可能だ。全ての人格的虚飾を剥ぎ取られた「素っ裸の人間力」が試されることになる。プロ野球の監督などそれの最たるものだと思う。
中嶋監督の正直さは極めて令和的
なので古今東西あらゆる名将は極めて優れた「言葉の力」を発揮してきた。だがその中でも中嶋監督は異彩を放つ存在だ。古来の名将たちより優れているとかではなく「極めて令和的」というべきだろう。
昔の名将たちはその人格的魅力で記者をケムに巻いたり、ハッタリをかましたり、という「外連味」が多分にあった。それは自分の感情に嘘をついているわけではなくて、むしろ自分の正直な感情がより相手に伝わるように150%増量して表現してみせた、というべきなのだろう。
中嶋監督は違う。ありのまま、思うまま、何も足さない、何も引かない、自分の率直な感情を100%無添加でお伝えしております、という風情だ。なので試合後の監督インタビューでもオリックス事情に精通する大前一樹さんのようなプロフェッショナルの前では穏やかな口調で自分の考えを丁寧に説明するが、野球に不勉強で勘の悪いインタビュアーなどに応対する時は聞いているこちらがびっくりするくらい無愛想な発言を繰り返す。
その気持ちは僕ら自身に置き換えてみたらよくわかる。自分が熱意を持って取り組んでいる仕事の最中に、自分の仕事のことをほとんど理解していないしさして興味もなさそうな赤の他人が突然「あなたの今日の仕事の結果について今のお気持ちを教えてください!」などとマイクを向けられたら僕ら全員が中嶋監督のような対応になるだろう。
それをどんな肩書き、状況であろうとも変わることなくやってしまう「正直さ」こそが中嶋監督の凄みなのだ。あれほど多くの人間の前で、あれほど重責を負うポジションで、素っ裸の心持ちで居続けるのは至難の業だ。退屈な社交辞令や忖度をしない(できない?笑)中嶋監督の言葉もまた極めて「令和的」だ。