マウンドで呆然とする背番号70の姿がいまだに忘れられない。

 8月25日のDeNA戦(バンテリンD)、2-8と6点ビハインドの9回。4番手として登板したのは、今季1軍で初登板となった中日・近藤廉だった。

 願っていた昇格のチャンスを得たばかりの左腕だったが、結果は1回8安打10失点(自責点8)。日本のプロ野球史上2位タイの記録となる、1イニング62球を投げてようやく3つのアウトを取り終えた。筆者はタブレットの画面越しに映し出される近藤を心苦しい思いで見ていた。

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近藤廉 ©時事通信社

生粋の東京出身ながら竜党だった近藤廉

 近藤は、2020年の育成ドラフト1位で札幌学院大からドラゴンズへ入団した。「真っスラ」と呼ばれる癖のあるストレートが特徴で、ルーキーながら2軍の実戦で打者を翻弄し、21年3月に早々と支配下契約を勝ち取った。日米通算2450安打を放ち、昨年現役を引退したOBのヒットメーカー・福留孝介氏からは「お前は真ん中だけ投げておけば打たれないから」と太鼓判をもらうほど。打者にとっては打ちづらい“変化”の直球だった。

 誤算だったのは22年。2月の春季キャンプで1軍メンバーに抜擢されながら、思うような状態を保てず、結果的に左肩の痛みを発症。不本意なシーズンを送った。

 今季は1軍昇格を目指し、左腕の位置を探り探りする毎日も過ごした。「体の使い方を確認する意味でもチャレンジしてみました。山井(2軍投手コーチ)さんも、1軍で特徴を出すにはありと言ってもらった」と、サイドスローにしてブルペン投球したこともあった。

 プロ野球選手だが、決して野球界の王道を歩いてきたわけではない。東京・豊南高では甲子園出場なし。大学に進学を決めるときも、同校の監督が北海道の高校を視察した際に、札幌学院大の監督と縁ができ、札幌学院大の監督が別の選手を見にきた3年春の都大会で好投して目に留まった。

「最初は全然北海道に行く気はなかったです。縁もゆかりもなかったですから。実際に、同級生も僕と青森出身の選手を除いて道内の人ばかり。でも、施設を見学したらすごく良かった。それにとても楽しそうだったんですよ」

 ある意味、ノンプレッシャーの環境が近藤の力を引き出した。同大の監督がトレーナーを兼ねていたこともあり、ウエートトレーニングにも注力できた。大学入学時に71キロだった体重は、16キロ増の87キロと大幅な体力強化に成功。北海道グルメもサーモンを筆頭に新鮮な魚を堪能し、苦手だった貝類も食べられるようになった。たまーに学生のノリで打ちにいくパチンコで勝った時、仲間と行く回転寿司の人気店「トリトン」がささやかな楽しみだったとか。

 実は、生粋の東京出身ながら竜党でもある。幼い頃に父と行った東京ドームの中日戦でタイロン・ウッズがホームランを打ってファンになった。中日以外で支配下指名を検討していたチームも複数あったみたいだが、結果的に育成でもドラゴンズのユニホームを着ることができたのは、近藤にとって光栄なことだった。