※こちらは公募企画「文春野球フレッシュオールスター2024」に届いた原稿のなかから出場権を獲得したコラムです。おもしろいと思ったら文末のHITボタンを押してください。

【出場者プロフィール】オリの男爵 オリックス・バファローズ 43歳。

千里の丘で阪急の帽子をかぶり、毎日壁当てをしていた元野球少年。球団合併を経て、毎年のように監督が入れ替わる「暗黒の20年」を乗り越え、人生二度目のオリックス黄金期を満喫する松坂世代。

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「オリックス・バファローズ」

 この響きに違和感を持つファンは、今、どれくらいいるだろうか。

 シーズン3連覇を果たし、「オリ姫」と呼ばれる女性ファンも増え、京セラドームのライトスタンドは今日も超満員だ。閑散とした阪急西宮球場を知る40代のオッサンとしては隔世の感がある。そんなオッサンに20年も前の事を蒸し返されても、オリ姫達に煙たがられるだけだとわかっているが、歴史の語り部として何度でも言わせてもらいたい。

 私たちは、球団合併という悲劇を忘れてはいけない。これは、とあるオリックスファンと近鉄ファンによるオーラルヒストリーである。

2004年6月20日オリックスー近鉄 近鉄応援席に掲げられた「合併反対」の横断幕 ©時事通信社

あの年、私は新入社員だった。

 2004年、私は「就職したいランキング」で常に上位にランクインするような大手企業に入社したものの、初任配属は希望する部門ではなかった。少し落ち込みながらも、新しい環境で頑張ろうと思っていた矢先、新人歓迎会で社会人の洗礼を浴びた。今でいえば確実に「アルハラ」。私は完全に酔いつぶされた。「この環境でやっていけるだろうか……」そんな最悪の社会人スタートだった。

 中でも、A先輩が苦手だった。A先輩は中堅社員で仕事もでき、周囲からも一目置かれる存在だったが、とにかく飲み方がひどかった。

 そして、コテコテの「近鉄ファン」だった。

「だから近鉄って苦手なんだよな」

 本来なら野球をきっかけに距離が縮まりそうなものだが、仕事で直接絡むことも少なく、私はなるべくA先輩と関わりを持たないように距離をとっていた。

球団合併がすべてを変えた

 しかし、ある事件を境に、A先輩との関係性が一変する。仕事にも慣れてきた6月のある日、衝撃のニュースが飛び込んできた。

『オリックスと近鉄、球団合併へ』

 日経新聞のスクープは世間を驚かせた。

 早速、A先輩に会議室に呼び出された。オフィスの会議室は透明の壁で仕切られていて、外から中の様子がわかる構造になっていた。仕事で接点のない我々が深刻な顔で会議をしている姿は、周囲から奇異に映っていたことだろう。

 球団合併に関する新たな報道が出るたびに、A先輩との会議が繰り返された。ホリエモンが救世主としてもてはやされ、古田敦也がテレビで涙ながらにストライキを決行していたその裏で、私たちは悶々とした日々を過ごしていた。

 気が付けば、A先輩は、私にとって職場で一番気心の知れた仲になっていた。

『君たちはどう生きるか』

 ファンや選手会の猛反対も虚しく、「オリックス・バファローズ」の誕生が決定し、東北に楽天球団ができることになった。

『君たちはどう生きるか』

 プロ野球界から投げかけられた究極の質問に、私たちは答えを出さなくてはいけなかった。

「おい、お前どうするんだよ」
「いや、ぼくはバファローズなんて絶対応援できませんよ」
「だよなぁ、おれもオリックスは無理だよ」

 球団の身売りなら理解できる。しかし、今回は話が違う。「バファローズ」を応援しろというのだ。よりによって、あの「バファローズ」を。だからといって東北の新球団を推す気にもなれない。いっそのこと、プロ野球というものから距離を置こうか……。

 そんな葛藤を解決してくれたのは、両球団にとっての功労者である仰木彬が新監督に就任するというニュースだった。

「仰木さんがやるって言うんだから、俺たちはついていくしかないよな」

 2人の意見は一致した。

合併で誕生した新球団「オリックス・バファローズ」の初代監督 仰木彬さん ©文藝春秋

 こうして私とA先輩は、奇しくも同じチームのファンになり、長年続く「暗黒時代」の傷を慰めあう関係となった。

 2人で観戦に行き、サシ飲みに行くこともあった。新人歓迎会の時の騒ぎ方とは打って変わって、サシ飲みの時のA先輩は、人見知りで後輩想いの、心優しい先輩だった。そして糖尿病の注射を打ちながら、飲み会を盛り上げていたことを知った。

 私は、A先輩に、仕事のことだけでなく、人生の様々なことを教えてもらった。