『聖の青春』などの作品で知られる作家・大崎善生が2024年8月3日、66歳でこの世を去った。彼の遺品のパソコンからは、闘病中に書き残した未発表の絶筆『渚にて』が見つかった。そこには、死を前にした自身の姿をユーモラスに、そして達観した境地で綴る作家の姿があった。
声帯を失い、声が出せないながらも「それはいつなんだよ!」と怒りを露わにした最後の願い。そして、20年間生活を共にした妻で女流棋士の高橋和が包み隠さず語った、知られざる最期の日々。将棋を愛した作家は、人生の最終盤をどのように描き、そして投了したのか――。
「淡々と死んでいこう。それが最後の仕事だ」
2022年5月、大崎善生は12時間に及ぶ手術で94個の癌細胞を摘出した。甲状腺、声帯、食道も摘出し、完全に声を失った。手術から3週間後、医師から説明を受けたとき、隣にいた妻の和は声をあげて泣いた。彼女が大崎の前で涙を見せたのは、この一度だけだったという。
その姿を見た大崎は、未発表の絶筆『渚にて』に自身の覚悟をこう記している。
《その姿を見た瞬間、私は心に誓った。自分は絶対に病気のことでは泣かない。どんなに苦しくても悔しくても泣かない。嘆いたり怒ったり感情的になったり絶望したりしない。そんな姿を美和には見せない。淡々と死んでいこう。64歳まで生きてきてそれが最後の仕事だ》
文中の美和とは、妻の和のことである。この言葉通り、大崎は病気に対して怒りも不安も見せず、淡々と対峙していたという。
最後の願いは北海道旅行だった。「大崎が夏まで頑張れたのは、この旅行を楽しみにしていたことが大きい」と和は振り返る。しかし、容態が急激に悪化し、主治医から止められる。
「今のままでは新幹線の中で倒れてしまいますよ。治療を続けて、もう少しよくなってから……」
これまで主治医の言葉を尊重してきた大崎が、このとき初めて怒りを露わにした。「それはいつなんだよ!」。声にならない叫びが響いた。







