短期集中連載「がんで生まれ変わった10人」では、著名人が自身のがん体験を語っている。昭和史研究家の保阪正康さんは、かつて患った腎臓がんと前立腺がんについて振り返った。
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「それを知ろうとするのが我々の商売じゃないか!」
20年前に腎臓がんの手術をした。その経験を振り返るとき、2021年に亡くなった立花隆さんとのある日の対話が胸に甦ってくる、と保阪正康さん(86)は話す。それは2005年末にがんの告知を受け、手術による治療を終えた数年後のことだった。当時、膀胱がんで闘病を続けていた立花さんと新聞の対談をきっかけに会うようになり、歴史観や死生観について2人で対話を交わすようになった。
ある日、保阪さんが自身の腎臓がんの経験を話した時のことだ。具体的な病状や治療法を詳しく質問した立花さんは、保阪さんがそれを十分に把握していないことを知ると、こう言って真剣に怒り出したという。
「保阪さん、それは無責任だよ。自分の体の中で何が起きているのか、現代医学がそれをどこまで解明しているのか。それを知ろうとするのが我々の商売じゃないか!」
立花さんはそれから、自分は膀胱がんになって以来、最新の医学論文を世界中から取り寄せ、海外の研究グループが発表した最先端の知見も読み解いていると続けた。
「そのとき、彼の語る言葉の主語は、常に『私』ではなく『人類』や『ホモ・サピエンス』でした」と保阪さんは振り返る。
「つまり、人類の医学の到達点は今ここにある。しかし、この先はまだ解明されていない。だから、今の医学のレベルでは私の病気を完璧に治すことはできない。ゆえに、私は手術をしない――。そう立花さんは言いました。自分の死に直結する病をそんなふうに語る姿に、『この人は本当の天才だな』と思ったものでした」
だが、保阪さんに当時のことを聞いていると、彼もまた立花さんとは違うやり方で、昭和史を長く研究してきた作家としての姿勢で病に向き合った人だったことが分かる。
保阪さんが腎臓がんの診断を受けたのは2005年12月のことだった。9月、北京への取材旅行の後、立て続けに札幌、函館での仕事を済ませて羽田空港に戻った際、これまでにない疲労を感じた。その夜、自宅で小用を足したとき、便器が赤く染まる血尿が出た。
「初めての経験で流石に動揺しました。当時は65歳。ヘビースモーカーではありましたが、大きな病気もせず、健康診断でも目立った指摘を受けたことはありませんでした。そのため、数日ほどは『疲労のせいだろう』と自分に都合のいい解釈をしようともしたのですが――」
ただ、父が肺がん、母、妹もがんで亡くなっている「がん家系」という自覚もあり、1週間後に重い腰を上げて泌尿器科を受診した。




