教育玩具の開発・販売で知られる「ボーネルンド」を夫婦で創業し、現在は代表取締役社長をつとめる中西弘子さんが、当初の失敗経験を明かした。商品がまったく売れず、社運を賭して“ある施策”を実行に移す。

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本物の教育玩具を日本の子どもたちに

 商社マンとしてデンマークのレゴ社などとの取引を担当していた夫が、突然会社を辞めて帰ってきたのは、1976年のことでした。当時、私は専業主婦で、2人の娘の子育ての真っ最中。事前の相談もなく、寝耳に水でした。戸惑う一方、私は商家の生まれで、父も非常に大胆なことをする人でしたから「どこかで聞いた話だな」と(笑)。

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ボーネルンドの代表取締役社長・中西弘子さん(本人提供写真)

 夫はそれから1年間ヨーロッパに渡り、玩具メーカーの経営者との対話や商材探しを通じて、新しい事業のヒントを模索したようです。そして帰国後、まだほとんど知られていなかったデンマークのコンパン社の大型遊具を輸入する会社、コンパンプレイスケープを立ち上げました。

 人口が600万人程度のデンマークは、子どもを社会にとっていちばんの財産として扱い、子どものあそびをとてもよく研究しています。かたや、鉄製のブランコや鉄棒が設えられただけだった当時の日本の公園や園庭などの状況は、恵まれているとはいえませんでした。木製で丸みを帯びた、コンパン社のカラフルな遊具は、夫の目論見通り、日本社会にカルチャーショックをもって受け入れられました。すると幼稚園の先生などから、砂場のスコップや、室内で遊ぶパズルなど、手に取れるサイズの玩具も輸入してほしい、という要望が届くようになりました。そうして1981年に子会社として設立したのが、ボーネルンドです。

ボーネルンドの教育玩具「ビルディングシェープ」(提供:ボーネルンド) ©時事通信社

 夫は商社マン時代からヨーロッパ出張から帰ると、子どもの成長を第一に考えて工夫された教育玩具をたくさんお土産に買ってきました。私は、娘たちがそれに夢中になって遊ぶ姿を見ていました。当初は経理関係などの業務を手伝っていましたが、そのうち夫と一緒にバイヤーとしての仕事にも携わるようになりました。玩具というものは子育て経験も活かせることに加え、本物の教育玩具を日本の子どもたちに届けたい、という使命感もありました。