(きむらしゅういちろう 株式会社ブーランジェリーエリックカイザージャポン代表取締役。1969(昭和44)年、東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、6年間の生命保険会社勤務を経て、米国国立パン研究所(AIB)に留学。フランスのエリック・カイザー氏の元で修業を重ね、帰国後、株式会社ブーランジェリーエリックカイザージャポン設立。)

 

 生まれ育ったのは新宿区富久町です。でもね、「新宿生まれ」っていうと、祖父に怒られたんですよ。そのいい方はやめなさい、四谷っていいなさいって。ちょうど境界線のあたりだったのですが、同じ町でも隣にあった祖父の家は、江戸時代に甲州街道の江戸への入り口として設けられた関所(四谷大木戸)の内側だったんです。だから「自分は歴とした江戸っ子だ」「周一郎は四谷生まれだ」って。確かに新宿区は1947年までは四谷区でしたしね。

 木村周一郎さんが生まれたのは、あんぱんやジャムパンをこの世に生み出した1869(明治2)年創業の「銀座 木村屋總本店」を営む家系。祖父は五代目・木村栄一氏、父は六代目・周正(ちかまさ)氏。伸びやかに育てられながらも、ゆくゆくは七代目として老舗パン屋に身を投じる未来をどこかで意識していたという。

 もともと木村家は明治時代頃、いまの銀座三越がある一画の工場兼住居に住んでいたのですが、築地へ越した後、関東大震災をきっかけに四谷に引っ越してきたんです。個人宅としてはとにかく馬鹿デカい敷地で、昔の地図で見ると、当時、隣にあった成女学園中学校・成女高等学校や区立富久小学校、近くのお寺とほぼ同じ大きさでした。その広い敷地内に、両親が結婚をきっかけに一軒屋を建てたんです。

 何度もリフォームしているので、その年頃によって家の思い出も違うのですが、一番幼い時の記憶をたどると、玄関の前に駐車場と大きな木があって、1階は広いリビングと台所、ガレージ。台所の向こうには、お次部屋、そう、住み込みのお手伝いさんの部屋がありました。お手伝いさんは小学校に上がるくらいまでいてくれて、鹿児島出身の人だったので「豚の色は黒です」と言い張るのですが、子供心に「絶対、嘘だ」と信じませんでしたね(笑)。家の真ん中にあった階段を上ると、2階には両親の部屋、子供部屋、大きなサンルーム風の洗濯物を干す部屋がありました。

 毎朝、パン食だった訳ではないですが、台所や食卓にパンがあるのが当たり前の生活でした。近所に木村屋總本店の系列店があって、そこにお遣いに行くのが幼かった僕の役目。300円くらいを握りしめて、主に食パンでしたが、一生懸命、指を折って計算しながら買い物をしていたようです。ある時、途中でお金を落としたのか、葉っぱと石コロで支払いをしたこともあったとか。「実は先ほど坊ちゃんが……」と耳にした母が、後からちゃんと支払いに行ったと聞かされました。

たわわになった柿をおやつ代わりに失敬したり。大らかな時代だった

 小学校は自宅からバス一本で通える慶應義塾幼稚舎へ進学。帰りは四谷三丁目交差点のバス停で降りると、必ず隣の祖父の家に立ち寄っていた。入り組んだ家々の間の細い路地を走り回り、釣り禁止だった神社の池で釣り糸を垂らし、壊れた塀の隙間から新宿御苑に忍び込んでバッタやカマキリを捕まえたり。自宅に帰るのを忘れるくらい放課後の外遊びが楽しくて、木村少年のやんちゃぶりは近所でもよく知られていた。

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source : 週刊文春 2021年12月30日・2022年1月6日号