両親と離れて暮らした施設での経験がなかったら、僕は作家になってなかった。|高杉 良

新 家の履歴書 第764回

伊藤 愛子
ライフ ライフスタイル

(たかすぎりょう 作家。1939(昭和14)年東京生まれ。石油化学新聞記者、編集長を経て、76年に『虚構の城』で作家デビュー。著書に「金融腐蝕列島」シリーズ、『広報室沈黙す』『不撓不屈』『勁草の人』『最強の経営者』などの経済小説、自伝的小説『めぐみ園の夏』『破天荒』がある。)

 

 僕が本好きになったのは、母の影響が大きかったと思います。母は吉屋信子に憧れて、作家になりたかったのに、家族に「不良少女みたいなことするな」と反対され、諦めたらしい。父とは職場で出会い、当時は珍しい恋愛結婚だそうです。僕が1歳の時から住んだ千葉県市川市の家にはいっぱい本を並べていて、縁側で母がよく童話を読んで聞かせてくれたものでした。あの頃は幸せだったな。

 しかし、僕は11歳の時に児童養護施設に預けられ、母と離れて暮らさなければならなくなったんです。

 綿密な取材と、圧倒的な筆力を武器に、骨太でめっぽう面白い経済小説を発表し続けてきた高杉良さん。「金融腐蝕列島」シリーズ、『燃ゆるとき』『濁流』など、作品数は80を超え、総発行部数は単行本500万部、文庫本1500万部にも及ぶ。高杉さんは1939(昭和14)年生まれ。姉、弟、妹がいる四人きょうだいの2番目。器用で料理上手な父と、本や歌が好きな母の下で、育った。

 僕が生まれてすぐに父は会社勤めを辞めて、中国の天津に単身赴任し、米穀統制会で仕事をするようになったんです。その頃は羽振りがよかった。小さい頃住んだ市川の家は、洋風の応接間があるようなハイカラな家で、広い玄関で近所の人を集めて、餅つきをしたこともある。居間には最新のラジオがあって、僕は6大学などの野球中継に夢中。当時の夢はアナウンサーか童話作家になることでした。

 戦時中は父の指示で、岐阜県の伯父の家に疎開したんですが、母は田舎の生活がイヤだと言って、すぐ帰ってきてしまった。母はお嬢さん育ちで、わがままなところがあったからね。終戦は市川の家で迎えました。戦争で家をなくした人を応接間に泊めてあげたりもしてましたよ。

イラストレーション 市川興一/いしいつとむ

高校時代、初めての小説が雑誌に載る。筆力と取材力を武器に業界紙記者に

 戦後すぐ、父は天津から引き上げてきたが、仕事を転々として、やがて失業。

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source : 週刊文春 2022年1月13日号

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