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特集観る将棋、読む将棋

2018/12/21

デビュー直後の羽生さんは『駒取り将棋』?

 1985年、羽生善治が中学3年生でプロデビューする。中学生棋士は当時、加藤一二三、谷川浩司に続いて3人目。いまの藤井聡太のように、周囲の期待は高かったことは想像に難くない。

「四段五段のころから、羽生さんはほんとに強かった。芹沢もデビュー直後の羽生と指して、負かされるんだ。『どうだった』と聞いたら、『ただの駒取り将棋』だといってね(笑)。芹沢の批評も正しかった。だいぶあとに羽生さんに伝えたら、『あのころ私の序盤はひどかったので』と笑っていた」

 高橋さんによれば、羽生世代が登場してから将棋界は変わっていったという。まず、序盤の研究が盛んになった。終盤の技術も向上して逆転が起こりにくくなり、序盤の比重が重くなっていく。また、情報化の波は将棋界にも押し寄せる。パソコンで棋譜をデータベースに管理できるようになり、定跡が整備されていった。戦いが起こる前から慎重になる棋士が多くなると、対局室は午前中から静かになっていく。トップ棋士が銀座や赤坂で遊ぶ話も、あまり聞かなくなったそうだ。

史上初の永世七冠、羽生善治 ©文藝春秋

「一生懸命、勉強しないと追いつかない時代になった」

「終盤で強いのが“強い”と思われていたから、昔は余計に序盤の研究なんかはしなかった。大山さんに聞いたら、タイトル戦の準備は、相手ではなく自分の最近の将棋を調べるんだという。負けても粘りのある手を指していれば調子は悪くないし、そうじゃなかったらより慎重に指すことを心掛けたというんだ。いまのように、最新形で同じ形を熱心にみんなで研究する時代では、考えられないことです。

 谷川さんがトップになってからは、その真面目な谷川さんを指標にするし、次は羽生さんが指標になる。一生懸命、勉強しないと追いつかない時代になった。忙しすぎて、毎日、受験勉強やっている感じじゃないですか。大らかで遊び心に満ちた将棋の時代は終わったんだね。何より、将棋界には優等生が増えた。一億総中流社会になり、その子供たちが全国で行われる将棋大会(小学生名人戦は1974年開始)で効率よく発掘されるようになった。文化は拡散されると、どうしても中の人間は平均的になるから、升田幸三のような個性的な人間はなかなか現れない気がします」

 1989年、羽生は19歳で初タイトルの「竜王」を獲得。勢いは衰えず、1996年、七冠独占を成し遂げた。

「羽生さんが初めて、普通のサラリーマンの家庭から名人になった人間でしょうね。好奇心が旺盛で吸収力が抜群に強い。他分野の人ともまともに対談できる。羽生さんは将棋界初の『文化人』といっても過言ではありません」