しばらく親族の具合が悪いというので看病を兼ねて地方都市によく足を向けていたのですが、もはやおなじみになりつつある外国人コンビニ店員に日本人の老人が当たり散らす場面を比較的よく目撃していました。ジジイほんと何してんだよ。

 普段は都心に住んでいる私にとっては、外国人がいる環境が当たり前すぎて、相手が外国人であるかなどほとんど気にしたことがありませんでした。多少日本語が不自由でも「ああ、そういう言葉もなかなか通じない異国の地で働いていて偉いなあ」とか思いを致すぐらいです。

©iStock.com

静かな怒りを覚えた経験はかなりありますが

 それでも、2000年代に港区赤坂(溜池山王)の住民になった初期のころは、近隣の韓国人住民のあまりの行儀の悪さに辟易し、また常日頃通る家の前で韓国エステ店などの客引きに何度も絡まれたりして心底腹が立った記憶があります。「異国の地まで来て何しとるねん」という静かな怒りを覚えた経験はかなりあり、ましてや道路一本隔てたらすぐ目の前が首相官邸だの議員宿舎だのがある地域ですから「こんなことで日本は大丈夫なのか」と思ったりもしました。通りかかった議員を暗殺したり、首相官邸を襲撃した後でこれらの外国人街に逃げ込まれたら、実行犯が何処に行ったかしばらく分からないんじゃないの? と思ったり。

ADVERTISEMENT

 考えを改めたのは、自分自身が海外で仕事をして、生まれた子供の教育を真剣に海外でやるかどうか悩み、そこで初めて「ああ、私は『外国人』としてこの街で暮らし、子育てをする可能性があるのだな」と自分事として認識したときです。

©iStock.com

私がやったことで現地の人たちは迷惑していないだろうか

 いざ自分が異国の地で暮らし、育児をするかもしれないとなると、赤坂で経験した「外国人、マナー悪いな」ってのが逆転し、私がやったことで現地の人たちは迷惑していないだろうか、という感情に置き換わるんですよね。それであれば、多少は外国から日本を選択して来てくれた人たちにも一定の理解を示し、ある程度の行き届かなさは許容しなければ社会が回らないだろうと思い至ることで、外国人に対して怒ることも減った、というのが実情なのであります。

 もっとも、ロシア滞在時に中古車を日本から違法輸出したのではないかとロシア当局に疑われて連れて行かれそうになったときは、「そんなケチな仕事してねえよ」と微妙な心境になったのと同時に「何かあってもきっと誰も助けてくれないのだろうな」という気持ちになったわけですが。そのぐらい、外国で働く、外国で暮らすというのは心細い部分があるのは事実です。

 そんな私であるので、地方都市にも増えた外国人の店員さんに対して悪態をつく老人を見ると、非常に非常に腹立たしく感じます。別に「年金暮らしのごく潰しめ、他人に迷惑をかける前にその口をテープで塞いでおけ」と言いたいわけではなく、なんかこう、外国人の店員さんを「下に見る」風潮ってなんなんだろうと思うわけですよ。爺さん、そんな居丈高に怒れるほどあんた偉いのかよ、と。