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亡命説の北朝鮮外交官 エリート一家出身の“素顔”を元同僚が語る

「当時の彼は北朝鮮体制にとても忠実だった」

2019/01/07
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北朝鮮にとってイタリアが重要な理由

 チョ氏は、2006年~08年までイタリアで3年間、語学研修を受け、平壌に戻った後2010年~14年までは北朝鮮に常駐しているイタリアのNGO団体に3年間勤務し、2015年からは駐イタリア北朝鮮大使館に3等書記官として勤務していた。

 北朝鮮とイタリアといわれてもピンとこないかもしれないが、金正恩労働党委員長の李雪主夫人がイタリアのブランド、フェンディのコートを纏うなど、「北朝鮮にとってイタリアは大変重要な国」と太元公使は言う。

李雪柱労働党委員長夫人(左)と金正淑韓国大統領夫人(右) ©Getty Images

「そうした背景からイタリアの専門家が必要だといわれてチョ氏は語学研修に送られました。

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 イタリアは2000年1月、G7各国の中で最初に北朝鮮と外交関係を結び、北朝鮮と欧州の他国との関係をつなげる役割をしてきました。

 冷戦時代、北朝鮮はローマにある『国際連合食糧農業機関(FAO)』に常任代表部を置いてイタリアとの関係を緊密に保ってきた歴史があります。

 イタリアは金正日、金正恩一家の生活物資を調達するハブ的な役割をしていて、北朝鮮への制裁が続く中、英国やフランス、ドイツの企業が多くの贅沢品を北朝鮮に送るのを躊躇しましたが、イタリアの企業は価格が折り合えば請け負いました。

 金正恩に送られる多くの物資で例えば英国産品などはイタリアから英国に人がやって来て、いったん物資をイタリアに運び、そこから第三国を経由して平壌に送られていました。

 チョ氏がどれだけこの仕事に介入していたかはわかりませんが、チョ氏の亡命は北朝鮮の密輸ルートを解明できる重要な情報を入手できるチャンスです。それに、私の情報は亡命した2016年8月までですが、彼の場合は、2018年4月27日の板門店宣言や6月12日の米朝のシンガポール合意、そして昨年末まで北朝鮮がどんな戦術を使って核保有国としての地位を堅固にしたのかも明らかにできる」

“人質”なしで海外勤務できたのは出身成分のため

 それにしても、なぜエリート出身のチョ氏が亡命に至ったのか。何かその背景に理由があるのかと訊くと、「チョ氏の家は外務省一家の名門だった」という。

「彼の父も夫人の父も共に外務省出身で高位幹部。裕福でした。

 彼の父は、某国の大使を務め、夫人の父は儀典局長を務めた後、90年代末には駐タイ北朝鮮大使、2000年代初めには香港駐在北朝鮮総領事を務め、北朝鮮では知らない者がいないベテランの外交官でした。

 自宅も平壌の高麗ホテル前にある北朝鮮ではもっともいいといわれる外務省アパート(日本でいうマンション)。本人も平壌駐在のイタリアのNGOにいたのでとても裕福だったはずで、生活に不満はなかったでしょう。

平壌の都市部 ©Getty Images

 推測の域をでませんが、亡命の理由として考えられるのは2つ。ひとつは、金正恩体制への嫌気が相当にさしているだろうこと、そして、もうひとつはやはり子女の未来を心配してのことではないでしょうか」

 チョ氏夫人は平壌医科大学卒のインテリで、子女はひとりだったと太元公使は記憶している。北朝鮮では、海外勤務の場合は、こうした亡命を防ぐため家族のうち誰かを必ず人質として北朝鮮においていかせるといわれる。しかし、チョ氏の場合は、出身成分(北朝鮮における階層)もよく、家族をイタリアに連れていくことが許されたのではないかと見られている。