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83歳“孤高の思想家”西尾幹二の遺言「時代の嵐に閉じ込められても、しなければならないこと」

“最後の思想家”西尾幹二83歳インタビュー #3

2019/01/26
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論者はキャラクター化してしまってはならない

――『男子、一生の問題』(2004年)では、若手論者に対するメッセージをお書きになっています。「とにかく型にはまってしまってはいけない」。つまり、「このテーマならこの人だ」とならないでいられるかどうかが、伸びる人と伸びない人の違いだと。

西尾 ええ、これからの論者は意外な面を見せなきゃダメですよ。意外性というのは何かを恐れていては出てこないものです。率直であって、言うべきことを言い、作為はなく自然体で生きている結果として発露するものが意外性だと思います。逆に、論者の名前を見たら「この人ならこういうことを言うだろう」と分かってしまうような人はつまんないね。

 

――論者はキャラクター化してしまってはならない。

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西尾 そう、よくないですね。『正論』でも『文藝春秋』でも『Hanada』でもなんでもそうですが、特定の人に特定のテーマを書かせ続けるのはやめたほうがいいと思う。北朝鮮問題を、この人が書くのかとあっと驚かせるくらいのことをしてほしい。もちろん、それには論者のセンスと知見も求められるわけですが。

――たしかに最近は、専門家以外は語るな、素人は黙っていろという専門主義の風潮が強くなっています。かつてのようになんでも語る論者は少ないですし、居場所がなくなっているようにも思います。

西尾 ものすごくわかる。メディアの側も勉強していないし、意外性のある起用に自信がないんですよ。だからパターンを繰り返して安心している。

 

「人間をよく知った」態度とは何か?

――今、期待している論者はどんな人ですか。

西尾 政治学者の岩田温、青山学院の国際マネジメント研究科にいる福井義高、カナダ在住の渡辺惣樹。それから江崎道朗、潮匡人、藤井厳喜、加藤康男。女性では宮脇淳子、福島香織、河添恵子、川口マーン恵美。最後の川口さんは思想があるかどうかわからないけども文章がいい。常識を心得ていて、人間をよく知った良識がなせる業の文章を書く。

――人間をよく知った文章、という評価に文芸評論家としての矜持を見る思いがします。先ほどかつての「ニューアカ」ブームに「進歩的なことを言うだけ」と厳しい評価をされていました。言い換えればニューアカブームには「人間をよく知った」態度がなかったということでしょうか。

西尾 進歩主義史観だけで、浅い考えだと思いましたよ。人間をよく知っているという片鱗も見えなかったし、観念的に過ぎたでしょう。それには論者たちがまだ若過ぎたということも大きいと思いますが。

 

――「保守は主義というよりも態度だ」という言葉を思い出します。

西尾 人間を知らなければ、さらには現実を知らなければ、保守という態度は取れないでしょうね。