今だからこそ語れる『朝まで生テレビ』の思い出と、「つくる会」分裂騒動の真相。小林よしのり、西部邁ら袂をわかった仲間との交友とはどんなものだったのか。聞き手は近現代史研究者の辻田真佐憲さんです。(全3回の2回目/#3へ続く)
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「ニューアカ」あれは偽物です、完璧な
――西尾さんは都立小石川高校を卒業後、1954年に東京大学に入学。文学部ドイツ文学科を卒業後、大学院修士課程を修了してドイツに留学されました。現在に続く論壇でのお仕事をされるようになったのは、帰国後のことになりますか?
西尾 いえ、そうじゃありません。私は29歳のとき、雑誌『自由』の懸賞論文に「私の『戦後』観」(1965年)を応募して「自由新人賞」をもらいました。それからドイツに留学したのですが、『自由』の編集長に留学体験を連載してみないかとお誘いを受けた。それが『ヨーロッパ像の転換』(1969年)として新潮選書にまとまり、同時に一気に書き上げた『ヨーロッパの個人主義』(同年、講談社現代新書。現在PHP新書『個人主義とは何か』に改版されている)も刊行されました。
――まさに保守言論人としてそこからスタートをされるわけですね。
西尾 ちょっと待ってください。私は決して保守論壇の人間として歩みを始めたつもりはないんです。「私の『戦後』観」では確かに反進歩主義史観、反敗北主義的平和観を論じましたが、それが中心テーマではなく、西洋と日本の文明を論じる者として、そして専門のニーチェをはじめ小林秀雄、福田恆存らの思想を論じる文芸評論家として「論壇」にいたつもりです。
――わかりました。西尾さんの文芸評論家としての姿勢をお伺いしたいのですが、80年代に浅田彰、中沢新一らが牽引した「ニューアカ」ブームがありましたよね。
西尾 ああ、ありましたね。
――これはフーコー、ドゥルーズ、デリダといったフランス現代思想の最先端を日本の若手研究者らがキャッチアップして展開した「知のトレンド」とも言うべきものでした。その起源には大きくニーチェの思想もあるかと思いますが、西尾さんは「ニューアカ」をどのようにご覧になっていましたか。
西尾 嫌悪感でしか見ていませんでしたね。あれは偽物です、完璧な。
根っこがないから流行って廃れる
――それはどうして。
西尾 私はああいう偽物が一番嫌いなんですよ。
――偽物というのは、きちんと理解ができていないという意味ですか?
西尾 ニーチェを理解していないとか、そういう話以前の問題です。つまりあのブームはただ進歩的なことを言うだけのものでした。こうした知的な流行は保守の側にも起こることがあるけれど、概して言えることはそこに「根っこ」がないことですね。根っこがないから流行って廃れる。
――そして偽物は淘汰される、と。
西尾 時流に乗ってもてはやされていた言論人が消えるとはそういうことです。