『朝生』の初出演は「移民問題」の回だった
――西尾さんは『朝まで生テレビ』にもよく出演をされていました。いつ頃から出ていたのでしょう。
西尾 もともとは一視聴者として面白いなと思って番組を観ていたんです。のさばっていたのは野坂昭如と大島渚でしたね。この番組は私が出るものではないなと最初は思っていたんです(笑)。
――当初はそうだったんですか。
西尾 ええ。ところが、1989年、ベルリンの壁が崩壊する前後に「偽装難民」が日本で大きな社会問題になったんです。ベトナム難民を装った中国人が大挙して日本にやってきた問題で、そこから「外国人労働者」の受け入れ是非が社会で論じるべきテーマになった。私は第二次世界大戦後のドイツが移民を安易に受け入れたがために失敗した現実を目の前で目撃していましたから、日本がその二の舞になってはいけないといろんな形で反論をしていました。そのような時に『朝まで生テレビ』が移民問題を取り上げるといい、私が呼ばれたのです。
――『「労働鎖国」のすすめ』(1989年)を刊行されたころですね。テレビではどのような論を展開されたのですか。
西尾 端的に言うと、移民を安易に受け入れることは「弱者の脅迫」を招いてしまうということです。つまり、助ける・助けられるという関係が逆転し、労働者を受け入れる側がいつの間にか、労働者の送り出し国に依存し、支配されたり、押さえつけられたりしてしまう。
甘いことを言っているとどうなるか、何一つ学んでいない
西尾 当時のドイツで言えば、多くのトルコ人がクリーニング屋の仕事についたのですが、それが次第に常態化し、いつの間にかクリーニング屋はトルコ人の仕事となってしまった。すると彼らがいなくなると困るのはドイツ側です。ドイツはあるとき大金を付けてトルコ人を大勢送り返した。同じ数のトルコ人をドイツ社会は必要とするに至る。ドイツは次々と新たなトルコ人を受け入れざるを得なくなっていく。そこで経済不況が起こると、ドイツの労働者が失職し外国人の雇用保護が目立つようになり、ドイツ人が怒り出し、外国人への襲撃が日常化するということになりました。
また、当初の賃金設定で労働していた移民が次第に不満を高め、社会的にも経済的にも受け入れ国が混乱することも簡単に想定できる。外交面での「弱者の脅迫」も懸念される問題です。
――2018年12月には改正出入国管理法が成立し、外国人労働者受け入れの問題は再び今日的なテーマになっています。
西尾 かつての日本は他国の失敗を学習し、反省して進む国だったのに、今はそれすらできなくなっている。自民党の中には反対派もいると思いますが、見ている限りほとんどの政治家は声をあげませんね。野党にしても「かわいそうな移民に、もっとちゃんとした制度を与えろ」というような言い方しかしない。甘いことを言っているとどうなるか、慰安婦問題で散々経験している我が国が、何一つ学んでいない。政治的無知ですよ、本当に、日本の政治家はレベルが低い。