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最後の納得できる1作に向かって習作をずっと積み重ねている気がするんですよね。――白石一文(2)

話題の作家に瀧井朝世さんが90分間みっちりインタビュー 「作家と90分」

2016/01/24

genre : エンタメ, 読書

note

全部がひとつの流れのなかにあるから、死はそのなかのある種の変化なのかなと

――『快挙』も少し不思議な要素がありますが、『幻影の星』も、『彼が通る不思議なコースを私も』(14年集英社刊)も非常に不思議な話です。『彼が通る~』は学習障害の児童らの教育に打ち込む男性とその妻の話ですが、その男性に不思議な能力があるという設定。それに冒頭にはビルから人が落ちて死なないという不思議な事件も起きますよね。このあたりから、小説内で超現実的な要素が濃くなっていっていますね。

彼が通る不思議なコースを私も (集英社文庫)

白石 一文(著)

集英社
2017年1月20日 発売

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白石 だんだん宗教がかってきているように言われることも多いんですが、私自身が、どっちが本当が分からないようになってきているんですよね。たとえば今こうやって皆さんの前に座って、皆さんを見ているわけですが、しかし、目をつぶると、皆さんも私や皆さんがいるこの空間もすべてが一つの渦に見えるような感じがあるんです。分かります?

――うーん。分かりません、すみません……。

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白石 全部は分からないと思うんですけれど、人間にしろ他の生き物にしろ、個別の存在なんてどこにもいないんじゃないかという、そういう感覚があって、昔からそういう感じは持っていたんですけれど最近ますますそう感じるようになってきている気がします。なんとなく、「私」という一人一人が個別にいて、別々にいろんなことを考えたり行動している――という世界観から自分の感覚が逸れてきているんですね。境目がだんだん見えなくなってきている。

 パニック発作も、何が発作のコアになるかというと「死ぬかもしれない」ってことなんですよね。ただ、自分が経験してよく分かったのは、それと同時に「発狂するかもしれない」という恐怖があるんです。心というか精神がコンフューズドしちゃって、自分じゃなくなるという怖さがある。ある意味、変な臨死体験というか。

 そういう恐怖を1回体験してしまうと死ぬのがものすごく怖くなるんです。つまり、自分じゃなくなる恐怖を味わった身として「これってさ、いずれ本番があるよね」と思うわけです。おそらく本番はもっとすごいよね、と。じゃあ、その本番にどうやって備えればいいの? とずっと考えつづけてきました。

 死によって人間は自分というものを完全に粉砕されてしまう。そうだとすればどうしてそんな人生を自分たちは生きているんだろう。よほどの代償があるんじゃないか。最後は粉砕されるにしても、プロセスで、「これがあるからいいや」と思えることが何かあるんじゃないかと先ずは考えたくなる。たとえば運命があるんじゃないかとか、死に繋がる瞬間に死が怖くなくなるような超越的な感覚が手に入るんじゃないか、とかね。数年前までは、そういうことばかり考えて小説を書いていた気がしますね。がんを作中に必ず出すようにしたのも、最初はそのへんが動機だったかもしれない。

 でも『神秘』を書いている頃から変わってきたんですよね。どう変わったかはまだうまく言えないんですけれど、なんとなく、状態が移行するだけというか、変化するだけというふうに思うようになりました。何かの状態から別の何かの状態に変わるだけで、取り立ててのことじゃないというか……。全部がひとつの流れのなかにあるから、死はそのなかのある種の変化なのかなと。そんなふうに感じ始めると、それに合わせていろんな見方がちょっとずつ変わってくるんですよね。で、今はその過程の真っただ中に自分がいるような気がしています。

――次に、結婚や恋愛で規定されない、自分だけの価値観に忠実な男女が出てくる短篇集『愛なんて嘘』(14年新潮社刊)があります。最初の話に戻るかもしれませんが、最近の作品では、結婚や、血の繋がりのある家族というものを絶対視していないところもすごく感じますよね。

愛なんて嘘

白石 一文(著)

新潮社
2014年8月22日 発売

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白石 そうですね。社会を構成する要素として家族や血縁・地縁がありますが、法律というものは、常に個人とか家族とかを社会的な存在、たとえば債権者と債務者といった見方でとらえているでしょう。要件に従ってその人を判定し、法に抵触していれば裁く。そうした仕組みでこの社会は出来上がっているように見える。最近は、その一切合切に興味がなくなってきていますね。もともと大学の経済学科を出て、文藝春秋では主にノンフィクションを担当し、雑誌では政治や経済を中心に取材をしていたのでそれなりの知識と関心は昔からあったんですが、それもここ数年で、そういう社会的関心がどんどん薄くなっているのが自分でも分かります。たとえば家族の社会的な単位としての一面とか、次の世代を生産するための機能としての夫婦とかいうものに対する興味はもうまったくないですね。政治の動きにもほとんど興味がない。どんなニュースにもすごく既視感があるわけですよ。誰を見ても「昔、こういう人いたよね」と思う。ことに政治の世界を見ていて感じるのは既視感ばかりです。たとえば橋下徹という人の言動をテレビなどで眺めていると、ああ、この人は田中角栄にそっくりだと思う。疑獄で一度は自民党を離れて、選挙になれば子分たちをかき集めて「俺の悪口を遠慮なく言って堂々と当選してこい!」と発破をかける。闘争本能をむき出しにして政敵と戦う一面もあるけれど、肝心なときに案外簡単に妥協してしまったりする。安倍さんや橋下さんだけでなく、世界中の指導者たち全部ひっくるめて、これからの世界で歴史を変えるような何か大きなことを成し遂げる政治家はたぶん一人も出て来ないだろうと私は思っています。

 今後ますます政治権力は限定的になってくるし、混沌や破壊、場合によっては世界中を巻き込む戦争だって起こるかもしれないですが、その首謀者やそうした破局的事態を招く確固としたイデオロギーのようなものはどこにも見つからないんじゃないですか? あるとすれば、古臭い各種のイデオロギーを墨守しようと血道を上げている強力な官僚組織がそこに見出されて、指導者と呼ばれている人たちはその官僚機構の便宜的なシャッポに過ぎないという実につまらない現実だろうと思いますね。

 結局、人間は社会とか法とか秩序とかっていう、ある種の素朴な基準を真ん中に据えた上で行動すると、何百年何千年経ってもほとんど同じことをするのかなと思いますね。だからもう、そういう現象に対する興味は本当にないですね。

瀧井朝世

――でも白石さんは、世の中の貧困や戦争をどうにかしたい、という思いも強く打ち出していますよね。『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』などでは特に。

白石 あれを書いた頃はそうしたことをすごく考えていたんですよね。このあいだ売春婦に年間二億円以上の金を使っていたとテレビで告白したチャーリー・シーンのことなんかにも触れていますよね。たとえば、チャーリーが主演した『ハーパー★ボーイズ』というテレビシリーズ1回の出演料をもしも寄付に回したら、それだけで何万人もの子供たちが飢餓から救われる、といったことを書きました。でも、いま現在は、そういう行為にはあまり期待が持てない気がしています。

――世の中に失望しているということですか。

白石 というか、もっと先に変わらなきゃいけないことがすごくあって、いささか口幅ったい言い方をすれば、それは、やっぱり人の心のありようだと思うんですね。世界観とか、そういうものを変えたほうがいい。変わらないといけないのはとにかく「世界観」だと思っていて、今は、そこに興味があるんです。