――最新作の『光のない海』(2015年集英社刊)では、50歳になる男性が迎える不思議な人生の変化が描かれます。少し前に「今の自分の心境がいちばんよく出た作品だと思う」とおっしゃっていましたよね。
白石 なんとなく今までは、できるだけ男女を問わずいろんな人に広く読んでほしいというのがあったんですよね。でもやっぱり、自分も年をとってきているので、30歳以下の人のことはまるきり分かっていない。彼らのSNSの使い方だって、いま一番象徴的に言われているセックスレスについてだってよく分からないし、あんまり分かりたいとも思わないんですね。
だから最近は、自分の年齢に近い人たちのことを書きたいという思いのほうが強くなってきている。やっぱり、だんだん自分自身のことを書きたいという方向に向かっているんだろうと思うんです。
私はこれまで自分のことをストレートに書くことにあまり興味がなかったんですよね。私小説的なものを書く行為が嫌いだというわけではないんですけれど、こんなつまらない自分自身のことを小説にしたって仕方がないという気がしていた。それが最近は、それでもやっぱりそういう自分について書いてみようかという気持ちが少しずつ生まれていて、その延長線上というか、準備段階みたいな感じで自分たちの世代のことが書きたくなっている気がしますね。
――でも今回の主人公、高梨修一郎は白石さんよりも年下ですよね。ご自身とまったく同い年の主人公は避けているのでしょうか。
白石 避けてきたんですが、この先書いていくものでは同年齢くらいの人物についても遠慮せずに書こうとは思っています。
文藝春秋の編集者だった頃、高橋一清さんという凄腕の文芸編集者が社内にいて、その大先輩の高橋さんが「小説を書く時、自分の年齢プラスマイナス13歳くらいまでなら主人公にしても構わない」と話しているのを聞いたことがあるんです。それがとても強く耳に残りましたね。きっと高橋さんの言葉と自分の中のリアリティとが一致したんでしょうね。やっぱり10歳以上若い人のことは書きづらいし、一世代上の人のことを書くのもちょっとおこがましいよなあというのがありました。そこをうまく言い当ててくれたんだろうと思います。
――高梨は現在50歳ですが自分を70歳の老人のように感じているという……。
白石 そう、私がいま五十七歳ですから、自分が書ける下振れの年齢と上振れの年齢のなかに高梨という主人公は何とかおさまっているんです。
――彼は数奇な人生を歩んできた会社社長。現在はその会社の会長であり彼の人生の導き手だった義母を亡くし、その娘である妻とはすでに離婚。ずっと不眠と鬱に悩まされていた彼ですが購入した水入れを使うようになってから体調が良くなります。それを割ってしまったため、水入れを実演販売していた若い女性、筒見花江に連絡を取り、彼女と再会して、人生にまた変化が訪れます。出発点は10年くらい前に書かれたメモだったそうですね。
白石 そうです。ちょうど10年くらい前ですね。出かけた先で目にしたことなどをいずれ小説に使えるかなと思って書きとめておくんです。たとえば一人で電車に乗っていて、ある駅で女の人が乗ってきたとする。その人が昔付き合っていた女性だったらどうするかな、とふっと妄想するわけです。その人が子供を連れていて、その子が自分に似ていたらどうしようとかね(笑)。そうした着想を結構こまめにメモしておくんです。
今回の場合は、新宿のデパートで水入れの実演販売を実際に見た経験をメモにしていました。売っている人が可愛い人で、その水入れに入れたら一日で水がまろやかになるって言うわけですよ。こういう人と恋愛したら楽しいだろうなと思って(笑)。
そうやってメモしておいたものを時折読み返して、そろそろ熟れ時だなと思うものを小説化していくんです。