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声高にこうしたほうがいいとかこうすべきだとか叫ぶことにはもううんざり

――『ここは私たちのいない場所』(15年新潮社刊)と『光のない海』は、両方とも男性がキャリアを自ら手放すので、白石さんご自身もそろそろのんびりしたいのかなって思ったんですよね(笑)。

ここは私たちのいない場所

白石 一文(著)

新潮社
2015年9月30日 発売

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光のない海

白石 一文(著)

集英社
2015年12月4日 発売

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白石 ご明察(笑)。なんかもうそろそろいいのかな、とかね。ただ、自分が納得できるものって本当に書けなくて、その最後の納得できる1作に向かって習作をずっと積み重ねている気がするんですよね。

 次の長篇小説でも、終盤のほうで「こういう世の中にしたほうがいい」ってことを一応書いたんです。それはみんなが思っていることと全然違うというか(笑)とにかく善意に満ちた人たちがそれゆえに絶望し、教えを説こうとするからいけないんだ、と書きました。何かに絶望したり、何かを悔しがることがどれほどの悲劇をこれまで生んできたのかを思い出してくれ、と言いたかった。

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 それと、道徳のなかで一番大事だと言われているような、たとえば愛する人を守りたいといった感情がたくさん集まった時、戦争につながるんだ、ということも言いたかったですね。

 正直、人間の最高道徳みたいなものがうるさいんです。もっと静かでいいと私は思うわけです。宗教だけに限らず、地道に唱えられている教えのほとんどがうるさい(笑)。あんまり声高にこうしたほうがいいとか、こうすべきだとか叫ぶことにはもううんざりですし、もっと普通のことを行ったり語ったりすればいいと思っています。

 普通のことって単純で、人間を含めた生き物を殺さないとか、どんな理由にしろ自分と他人とを差別しないとか、そういうことです。つまり理屈をつけなきゃいいのに、ということです。だけど、普通のことをして、理屈をつけないで、大きな声を出さないで静かに考えるということが実は一番難しいんですよね。

――次の長篇小説というのは新聞連載していた『記憶の渚にて』のことですか。

白石 そうです。最初の200枚か300枚は8年前に書いてあったものなんです。書き直して書き直して、でも駄目で、筆が止まっていたんです。時間が経たないと書けないなと思って置いておいたもので、それが生きる糧になっていたというか。私にとってはいまだ収穫を見ていない名残惜しい畑だったんですね。

 現在も幾分はそうなんですが、昔はとくにこの世界から早く離脱したいという思いが強かったんですね。時々発作的にそういうのがあった。そうなった時は、置いてある作品のことを考えたりしていましたね。『記憶の渚にて』もそんな作品の一つです。2年に1回くらい取り出して、そろそろできるかなってパラパラ見るわけです。まだできない、まだできないと思いながら、今回4回目くらいに見たらなんか書ける気がしたんですよね。それでその続きを750枚くらい書きました。

 この連載が終わったあとの体調が結構ひどくて。ここ3カ月余り、ずっと呼吸が苦しくて眠るのにも不自由していました。ようやく症状がおさまってきたところです。また死にたいと思っても身体が「いや、そんなのとんでもないよ」と言ってくれている気がしますね。

――その小説は、どういう内容なんでしょうか。

白石 主人公は男2人です。最初の主人公がすぐにいなくなって、また別の主人公が出てくる。最初の主人公がいなくなる寸前まで書いて書けなくなっていたんですよね。で、去年あたりから、「あ、書けるな」と思えるようになった。

 さきほども全部渦に見えると言いましたが、そういうことを小説にしようとしているんです。だから記憶のことを書きました。人間の記憶ってどんなものだろうかということはずっと若い頃から考えているし、リインカネーション、つまりは生まれ変わりって荒唐無稽に思えるけれど、意外とみんな最後はそこにすがっているという感じがすごくします。自分なりに、そういう現象の本当の意味は何なのかみたいなことを書きたかったんです。この小説ではいままでになく書きたいことを思い切って書きました。一見ふつうの小説のようですが、じっくり読むと、まったく小説の体をなしていないような奇妙な小説だと読者に分かって貰えるんじゃないかと思っています。今年の6月くらいにKADOKAWAから刊行する予定です。