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元宮内庁職員が語る「明るい東宮御所時代」と「天皇陛下に差し上げた“ぬるめ”のお茶」

家入建次郎さんインタビュー

 天皇陛下が退位されるまで、残すところ約2カ月。熊本地震で被災した元宮内庁職員の家入建次郎さん(77)は、避難所となっていた体育館で15年ぶりに両陛下と再会した。いまあらためて、東宮職、そして侍従職として両陛下に仕えた日々を振り返る。

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東宮御所は本当に明るかった

家入 私が宮内庁職員としてお仕えするようになったのは、浩宮殿下(当時)がお生まれになった翌年(1961年)です。あの頃の東宮御所は、本当に賑やかでした。週刊誌などでは、浩宮さまのご成長ぶりが次々と取り上げられて、東宮御所に参殿する方はもう、みなさん「ぜひ、浩宮殿下のお顔を見たい」というお気持ちばかりでした。皇太子妃殿下(当時)も「ありがとう」と仰って、ご両親をはじめとした正田家の方々や聖心女子大学の関係のお知り合いやご友人と、東宮御所で何とも言えない和やかな雰囲気でお会いになっていました。

1962年10月、フィリピンご訪問前に談笑される皇太子ご一家(当時) 宮内庁提供

 それから礼宮さま(当時)、紀宮さま(現・黒田清子さん)のご誕生というご慶事が続きまして、東宮御所が本当に明るかったですね。皇太子同妃両殿下(当時)は、参殿される方を心から歓迎されていたんです。もちろん来られる方もご立派な方々なのですが、両殿下はより優しく、より立派に心がけねばというお気持ちで、お迎えになっていたように思います。

 私たち職員に対しても「命令」がないんです。どんな仕事に対しても、「ありがとう」「ご苦労さま」と優しい言葉を頂きます。だから仕事に張り合いがあって、前向きに取り組むことができました。

中学生くらいになると「皇太子殿下」とお呼びに

――当時の皇太子ご一家は、プライベートな時間を東宮御所でどのようにお過ごしだったのでしょうか。

家入 浩宮さまと礼宮さまがテニスをなさいますと、礼宮さまが色々とお尋ねになって、浩宮さまは聞き役をなさっていました。浩宮さまは、マンツーマンでレッスンを受けられていたようで、基本を大事になさっていました。教わった通り、着実にボールを返されるのです。礼宮さまは、器用でいらして独特のプレースタイルです。スピンをかけられます。これは、卓球でも同じですね。

――皇太子ご夫妻は、地方行啓などで東宮御所を不在にされていることも多かったと思います。

家入 妃殿下のお母様である正田富美子さまをはじめ、秩父宮さま、高松宮さま、三笠宮さまが「お慰め」に東宮御所へいらして、一緒にお過ごしになっていた時期もありました。

美智子さまと紀宮さま(当時) 宮内庁提供

 お出かけ先、例えば御用邸などで、両殿下は三宮様を「さん付け」でお呼びになっていらっしゃいました。ただ、御所では「ヒロちゃん」「アーちゃん」「ノリちゃん」と。家庭的な雰囲気で、私たちは傍らでそういう風にお話しなさっているのを日常的にお聞きしておりました。

 そして三宮様は、殿下のことを「おととさま」とお呼びになっていたのですが、中学生くらいになると「皇太子殿下」とお呼びになるようになっていくのですね。だんだんと、お立場を自覚されていかれたのだと思います。