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元宮内庁職員が語る「明るい東宮御所時代」と「天皇陛下に差し上げた“ぬるめ”のお茶」

家入建次郎さんインタビュー

職員と一緒にテニスや音楽会を

――昭和の時代、東宮職はどんな雰囲気でしたか?

家入 明るかったですね。職員との懇親の場もたくさんありました。テニスをご一緒したり、音楽会を開催されたこともありました。こういう時は、みんなで準備をして両殿下をお招きするのです。

 1年を通して、たこをあげたり、こいのぼりをあげたり。おひなさまを飾るなど、両殿下もご一緒に、さまざま楽しみを見つけておられたように思います。正式な行事もなさるけれども、お月見や、はなみずきをみる会、こぶしをみる会。両殿下がお誘いくださって、お昼休みなどにそうした小さな集いがありました。銀杏拾いもしましたね。ゴム手袋と割りばしを用意してくださり、最後には和紙に包んで賜りました。

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1971年、東宮御所の砂場でお過ごしになる皇太子ご一家(当時) 宮内庁提供

――家入さんは、東宮職としてどのようなお仕事をされていましたか。

家入 私たちはお仕えするにあたり何でもやるんですけれども、仕事の一つに「検番所(けんばんしょ)勤務」というのがありました。分かりやすく言えば、東宮御所にいらしたお客様の受付ですね。東宮御所には、公室と事務棟がありますが、公室の玄関で、お越しになる方々、例えば国の首長から政財界の方々など、それは様々です。そういった方々に「どなたでございましょうか」とお尋ねします。間違いがないか、再確認するためですね。右から左、ということでは全くないのです。

 高校卒業後、宮内庁に採用された時の名目は「東宮仕人(とうぐうつこうど)」でした。その後「殿部(でんぶ)」となりました。仕人と殿部はペアになって、身の回りのお世話全般について、担当していました。何でもやらなければなりませんし、私たちは与えられた仕事を行います。まず朝出勤しますと、侍従候所(こうしょ)に行って、黒板にある両殿下の1日のスケジュールを確認します。お客様がいらっしゃる場合は、お部屋のセッティングを私どもが担当していました。行事の部屋に生花を飾る場合は、お花屋さんを案内して花を生けてもらいます。その場に立ち会うのも仕事です。

皇太子同妃両殿下(当時) 宮内庁提供

後ろ姿を拝見しながら、お動きが重いように

――大きな出来事としては、昭和天皇の崩御、そして今上陛下の即位がありました。Xデーがいよいよ近づいてきた時期は、どんな日々でしたか。

家入 皆、暗い面持ちをしていました。崩御と即位がほぼ同時に起こるというのは、当時の皇太子殿下にとっては非常にお辛いことでもあったと拝察しておりました。侍医長からご容体についての説明を受けられていたのですが、ご病状は芳しいものではなかった。殿下の白髪がぐっと増えられたようにお見受けしておりました。世襲ですから、避けては通れないことなのですが、お父上にはいつまでもお元気でいていただきたい、というのは人間として普通の感覚ですよね。殿下がお出ましになる際に、後ろ姿を拝見しながら、お動きが重いように感じておりました。

 殿下は連日、時には午前1回、午後1回と天皇陛下のお見舞いに足を運ばれていました。ご名代として御所行事をなさり、皇后陛下にお見舞い申し上げられながら、崩御の日を迎えられました。とても寒い時期でした。この頃は、両殿下と三宮様でお過ごしになるというご家族の楽しい時間から、天皇陛下としてのお立場や責任の重さを深く実感されるように移り変わっていった時期ではないかと、今になってみてしみじみと思います。