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本来の福祉政策を民間がどう担うのか的な新しいテーマ

 もともと、このあたりは明治以降の欠食児童対策の歴史などを見ると涙なくして読み解けない部分もあるのですが、いままでは、これらの問題というのは公・国家や地域が共助的な福祉の一環として、また近代化を進めるなかで学校教育の充足とセットに、さらには戦後復興の教育だけでなく公衆衛生としても重要な機能を果たしてきたと言えます。

学校給食の歴史
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 時は下り、平成も終わろうかというところでにわかに企業が乗り出してきて地域の家庭に安い値段で飯を振舞うというのは、本来の福祉政策を民間がどう担うのか的な新しいテーマを導き出します。いままでは暇人かき集めてきて山奥に連れてって木を植えて満足させたり、地域のお祭りに酒類を現物支援して住民酔わせたりといった刹那的な活動も多かった分野で、ようやく本格的で持続的な地域貢献の仕組みに乗り出そうとしているのは興味深いわけです。

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 そして、この手の支援というのは本来は国や自治体が担うべき仕事であって、これらの支援を行っているNPOなどの団体にはした金の予算をつけて「お前らこれでやっといてくれや」という安い福祉の外注先として雑に扱われるべきものではないとも言えます。

 伏線としては、コンビニの店舗数が頭打ちになり、全国6万店あたりを天井に、経済人口の減少から複数のコンビニが林立する地域では生き残り競争の一環として、店舗あたりの売上を引き上げる競争が激化していることが挙げられます。やはり、地域の人たちに積極的に自社店舗、ブランドを使ってもらわなければならない、厳しい競争の中で頭一つ出るために何に取り組むべきか、というのは、様々な分野で繰り広げられている資本主義の重要なサイクルであると言えましょう。

訪れてくれるお客様とのエンゲージメント

 例えば、コンビニ大手3社が突如として取り扱いを打ち切り発表した大人向けエロ本の問題があります。いままでは単純併買率が高かった大人向けエロ本は購買額を引き上げる商品として位置づけられ、売れなくなってきたけど残してきた商品だったわけです。エロ本1冊レジに持っていって買うのは全力で恥ずかしいので、コーヒーとかおにぎりとか一緒に買ってくわけで、単純に購買行動だけ見ればエロ本が売れるかどうかよりもエロ本と併せてどれだけのモノが売れるか、一回購買当たりの客単価を引き上げられるかが重要だった、時代がありました。

 ところが、最近では単純な購買額で仕切るのではなく、「40代×男性×勤め帰り×所帯あり」とか「50代×女性×スイーツを複数物色×トイレタリー製品購買歴あり」などのような、業界では俗に「ペルソナ別購買活動」とか言われるマーケティングに変わっていったので、「エロ本とコーヒーとパン買う程度のおっさん客層は、エロ本がなくても他のもの買うから棚の回転率の悪いエロ本は単価高くても要らない」って話になって、警察からもいろいろ言われるようなら面倒だから商品ごと扱わなくしてしまえ、などという残念な判断になるわけであります。

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 そもそもテープが貼られていて立ち読みもできない大人向けエロ本とか青少年に有害と言ったって実害ゼロだろと私なんかは思うのですが、中身を見ることのできない大人向けエロ本は過激な表紙で存在感を主張しなければ売れないという悪循環をもたらしてしまい、敢えなく撤去になってしまうわけであります。なんてったって、立ち読みできないんですからね。

 エロ本のことはどうでもいい。問題は棚のことである。すなわちコンビニも生き残り競争の果てに、大手各社は自社ブランドと訪れてくれるお客様とのエンゲージメント、すなわち「少し歩くけど、あそこのコンビニのほうが好きよね」「欲しいものがあるんだよね」と思わせられる仕組みが必要になりました。通勤電車を降りてエキナカから自宅近所まで複数コンビニがあるとき、どのコンビニに立ち寄るか。あるいは、自動車通勤で一仕事終えた後で夜食を買うコンビニとしてどこに立ち寄るのかというのは、お客様の嗜好によるわけです。

 この辺を詳しく知りたい人は森岡毅さんと今西聖貴さんの『確率思考の戦略論』第1章を読め。