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必然的に親の貧困にぶち当たります

 子どもの貧困を考えたとき、必然的に家庭の貧困、親の貧困にぶち当たります。要は、親が稼げないから子どもも食べられない場合もある、ということになりますし、給料が安いのです。外国人が積極的に雇われるような職場は給料が安く、そういう安い給料しか払われない職場で「子ども食堂」のような福祉を想起させる単語を使うのは何なの? という理屈も分かります(本稿をお読みいただければ分かりますが、ファミマが展開するのは「こども食堂」、福祉の現場でよく語られるのは「子ども食堂」です)。

 もともと、地域で満足に夕食を食べられない、あるいは共働きで夕食時もお腹をすかしている子どもたちを、地域の八百屋さんがお店の一角を開放して食事をふるまったのが「子ども食堂」の起こりの一つであることを考えると、ある種の「ぬくもり」「やさしさ」が必要であるという議論も成立すると思うのです。

「子ども食堂」に我が子が行かなければならないような賃金で日本人を働かせるな、という話の延長線上には、規模の拡大を進めてきたコンビニエンスストア業界が、必ずしも高い給料と良い職場を実現できていない状態だという悩ましい現状もあります。成長を続けてきて、いまや日本でなくてはならない業態となったコンビニエンスストアも、家族もきちんと養えないかもしれない安い賃金で働く店員やフランチャイズオーナーによって支えられており、そしてその賃金で働かせるのは「必ずしも違法ではない」ために魅力のない職場であり続け、当然日本人の担い手がいないのでじゃあ外国人を呼んでこようという政策の不一致に繋がっているのが問題であることは言うまでもありません。アベ政権が悪い。

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©iStock.com

 つまり、一見「ファミマの『こども食堂』は、そうとははっきり言わないけど『貧困対策』だ」と思える割に、実際には「安い人件費で社員を働かせて得た利益の一部を、満足に食べられない地域の子供たちに還元しているだけ」とも言えます。そして、このサービスが見事に定着し、素晴らしい好循環を果たしても、別に「貧困問題としてはまったく解決しない」という結論になります。

福祉を必要とする人たちは低賃金で働く労働者であり

 安いサービスを提供することで、福祉になっているということで、ある種の「牛丼福祉論」をぶっ放したのは、古市憲寿さんと津田大介さん、田原総一朗さんの鼎談だったわけですが、その福祉を必要とする人たちは低賃金で働く労働者であり、その家庭や子どもは満足に飯を喰えない場合もあるので安い「牛丼」や「子ども食堂」に足を向けなければならなくなる、というジレンマがあります。

手軽に食べられる牛丼は「福祉」なのか ©iStock.com

 これらの事情を考えるにつけ、間違いなくファミリーマートは英断を果たし、素晴らしい施策を打ちだしたと思える一方、なぜその施策がウケるのかを考えれば問題は一向に解決しないけど、まあ子どもがファミチキ腹いっぱい喰えるんならいいか、という雰囲気の話になるんじゃないかと思うわけであります。

 みんな大勝利だからいいんじゃないか、と思わなくもありませんが、ひょっとして、これ負けているのは大人向けエロ本を含む出版業界なんじゃないでしょうか。コンビニ棚という販路を奪われイートインにされ子ども食堂になってしまう、文化的多様性を犠牲にしつつこのありさまという。

 可哀想に。本当に。