現代や未来の世界から「歴史」の世界へとタイムスリップする時代劇が近年よく作られている。そして、そうした設定の作品で多く見られるのが、「戦国時代で織田信長に絡む」という展開だ。今年もそうした映画が公開された。
信長がタイムスリップ時代劇で重宝されるのは、「志半ばにして倒れた、斬新な発想の改革者」「時には虐殺も厭わない苛烈な権力者」といったイメージがキャラクターとして優れているというのもあるだろうし、必ず最後には「本能寺の変」という大イベントが待ち受けているので物語のサスペンス性が盛り上がるというのもあるだろう。
かくいう筆者もまさにそうした設定に惹かれて、小学生の時に「現代人&未来人ミーツ信長」を映画館に観にいった。それが今回取り上げるアニメ映画『時空(とき)の旅人』だ。
一九八〇年代の角川映画だけあって、予告編を何度もテレビで流しており、それを浴びているうちに観たくてたまらなくなっていた。中でも印象的だったのが、風変わりな服装をした男が「敵は本能寺にあり!」と言って秘密基地みたいな場所で謎のボタンを押す場面と、「信長は本当に本能寺で死んだのか?」という最後のナレーション。「歴史好き」になりかけていた当時の筆者は、「いったい信長の身に何が起きるんだろう」とワクワクして劇場に向かった。
物語は現代から始まる。ヒロインの哲子をはじめとする高校生たちと教師の北は放課後、乗っている車に突然現れた謎の少年・ジロの持ち込んだ時間跳躍装置によって過去へとタイムスリップしてしまう。ジロは厳しい管理社会となった未来に嫌気の差した逃亡者で、時間管理局のクタジマに追われていた。哲子たちは、ジロに引っ張られて時間跳躍を繰り返し、太平洋戦争、幕末、関ヶ原と巡り、やがて信長と巡り合う。
信長は難なく哲子たちを受け入れる。こういう展開になると信長は便利だと思い知らされた。「固定観念に囚われない新しいもの好き」というイメージがあるため、服装も価値観も全く異なるはずの現代人に理解を示すことに対して違和感が生じないのだ。
そしてもちろん、物語のクライマックスは本能寺。
実はクタジマには隠れた野心があった。それは、本能寺の変を阻止して歴史を書き換えること。彼もまた管理社会に不満を抱いており、自由な発想の信長が天下を取れば未来が覆ると考えていたのだ。学校でいろいろと息苦しさを覚えていた当時の筆者も、クタジマを応援して観ていた。
信長は現代に対するカウンター的なロマンとして存在していると教えてくれる作品だ。