タイトル戦38期のうち、敗れたのはわずかに5回
女流名人10連覇の期間は、里見が女流棋士としてのトップへの道を歩み、頂に到達した期間でもあった。初の女流名人獲得から現在に至るまで、他棋戦を含めてタイトル戦は38期戦っているが(女流名人獲得以前に2期)、そのうちに敗れたのはわずか5回しかない。
この間は奨励会への編入とその挫折なども含めて、里見を取り巻く環境が著しく変わった10年間だったと言えるだろうが、里見の本質は何も変わっていないと思う。それは「誰よりも将棋が好きであること」と「盤を挟めば相手が誰であろうと絶対に負けたくない」という気持ちを持ち続けていることだ。そうでなければ10連覇は絶対に達成できなかったに違いない。
女流棋戦における同一タイトル戦の二桁連覇は、林葉さんが女流王将戦にて、1981年~90年の10年間で達成して以来、史上2例目の快挙である。男性棋士を交えても、二桁連覇を達成したのは大山康晴十五世名人(名人戦13連覇、王位戦12連覇)と羽生善治九段(王座戦19連覇、棋王戦12連覇、棋聖戦10連覇)の2名しかいない。
なぜ里見は10連覇できたのだろうか
林葉さんの10連覇を止め、女流タイトル獲得期数が通算43期(里見はこの防衛で35期目)という歴代1位記録を持つ清水は、里見でもなしえていない「女流タイトル同時全冠制覇」を達成しているが、その清水をもってしても、連覇記録は女流王位戦における9連覇が最高である。それだけ同一タイトルの二桁連覇は難しい。そもそも、同一タイトル9連覇を達成した棋士ですら、上記のメンバーの他には中原誠十六世名人(名人戦)と渡辺明棋王(竜王戦)しかいないのだ。
なぜ里見は10連覇できたのだろうか。過去の二桁連覇における傾向から探ってみたい。
共通するであろう要素として、先輩後輩を問わず、どんな相手にも勝っているという点が挙げられる。
大山は13連覇中、兄弟子の升田幸三実力制第四代名人、後輩の二上達也九段や加藤一二三九段といった相手をことごとく下している。この期間における最高齢の挑戦者は1918年生まれの升田であり、最年少は1940年生まれの加藤だった。同様のことは羽生の王座19連覇にも当てはまり、最年長の相手は1946年生まれの森けい二九段で、最年少は1984年生まれの渡辺だ。実に20年以上の世代差があるが、先輩後輩を問わず、ことごとく打ち負かしている。里見の10連覇の相手の中で、最年長は清水であり、最年少は伊藤だが、両者の年齢も20年以上の差がある。