私は宿に泊まる旅が好きだ。毎日毎日、洗い立てのシャツみたいに、ぱきっとすべてを整えてゲストを迎える「宿」という場が好きなのだ。
旅人の人生になって13年がたつ。毎年200日以上旅にでかけ、1年の半分は宿で眠る。旅行作家として旅の記事を書き、また、旅に出る。そんな日々を過ごしながら出会った感動の温泉宿について、思い浮かぶままに書いた。
今回は、その中でもぜひとも冬に訪れてほしい「雪景が素晴らしい宿」を厳選して紹介したい。
妙乃湯(秋田県・乳頭温泉郷)――湯も料理も良し、気持ちのあったかい宿
森の木々は、すっぽりと雪の綿帽子。宿が近づくにつれて、どんどん雪深くなっていく。路線バスを降りると宿のスタッフが番傘をもって駆け寄ってくる。
「寒かったでしょ。さあ、さあ、こちらでお茶っこでもどうぞ」。宿の大きな窓からは真っ白な雪景色が迎えてくれて、雪国に来た幸せを噛みしめる。「はいどうぞ」。秋田の郷土菓子“もろこし”と玄米煎茶、そしてふかし芋。このラウンジは、なんだか居心地がいい。どの客も、すっかり寛いで、そそくさと部屋に行く人が誰もいない。まだ、着いたばかりなのに、ここへ来てよかったと思っていた。
「金の湯」と「銀の湯」、2種類の源泉があって、別々の湯船で楽しめる。貸切風呂も含めると全部で湯船が7つもあって、頑張れば1泊ですべて巡れる。滝を眺める露天風呂「妙見の湯」は、雪の季節の方が迫力があるように感じる。赤茶色の濁り湯と雪景色のコントラストが美しい。幾重にも積もった雪は分厚い層になっている。川の対岸の森の斜面が迫ってくるようだ。手前には銀の湯もあって、ランプの灯りでほっこりできる。ここは混浴だが、男女別の大浴場からタオルを巻いていけるので、他の女性客に便乗してついて行くと案外気軽に入れる。夕方には女性専用時間もある。
金の湯の泉質は、酸性─カルシウム・マグネシウム─硫酸塩泉。pH2.71の程よい酸性で、肌を活性化させ、しっとりと保湿する。赤茶色になるのは鉄分を15mg/kg含んでいるからだ。含鉄泉と呼べる量ではないが、よく温まる温泉だ。
銀の湯は透明で、泉質は単純温泉。pH6.5の中性。源泉温度が低いので加温してかけ流している。とろんと柔らかな感触が心地よい。金の湯で活性化した肌を、銀の湯で優しく整えて仕上げるのがおすすめだ。
きりたんぽにいぶりがっこ……秋田の郷土料理を満喫
この宿は、“お風呂エンゲル係数”も高いが、“食事エンゲル係数”も高い。とにかく、次々とご馳走が並び、しかもとても美味しい。
山菜やブリの柚庵(ゆうあん)焼き、ローストビーフなどの前菜を食べていると、「只今ゆであげた稲庭うどんでございま~す」。秋田杉の小さな器で出来立て熱々が運ばれてくる。「只今、鮎が焼き上がりました」。蔓細工のかごの笹の中には炭が仕立てられていて、芳ばしい香りの鮎が届く。「揚げたてを、はい。どうぞ」。かっぽう着姿のスタッフが天ぷらを配っている。根曲がり竹の熱々揚げたてをはふはふと食べる。「そろそろ、きりたんぽ鍋の火をおつけいたしましょうか」。鶏の出汁がしみしみになった“たんぽ”がふわふわで美味しすぎる。“きりたんぽ”とは秋田の郷土料理で、もち米を粒が少し残る程度にたたいて棒に巻き付けて焼いた“たんぽ”を切ったもののことだ。
あきたこまちのツヤツヤごはんを“いぶりがっこ”で味わっていると、大きな鉄鍋から、きのこ汁がふるまわれ始めた。そういえば、冷酒の地酒を注文したら、山盛りの雪にさして出してくれた。なんと風流なことか。雪の秋田を満喫する宿である。