1958年「メリーチョコレート」起源説
現代日本へと続く大衆食文化が可視化されるのは昭和30年代のことだ。高度成長期に突入すると、前出の1957年の記事のように新聞にもバレンタインの記事が散見されるようになる。もっともチョコレートとの関係性はまだ薄い。この時点では「殉教した、キリスト教の聖徒バレンタインにちなんで、愛するひとに手紙や贈り物をする習慣」という本来のヨーロッパの風習の紹介にとどまっている。
ただし、この頃から微妙に空気が変わってくる。1958年、東京のメリーチョコレートカムパニーが「バレンタイン・フェア」を新宿・伊勢丹で開催。1960年には森永製菓が広告展開を仕掛ける。曰く「あちらの映画・TVでおなじみ<愛の日>バレンタインデー。若いヒトが贈物や手紙を交換しあう日です。チョコレートをそえて贈れば、レイケンアラタカとも……あなたも一度ためしてみては?!」(原文ママ)。
「主」がプレゼントで「従」がチョコレートではあるが、この頃から販売店も積極的に売り場展開を始める。1965年に伊勢丹、1968年にはソニープラザも「バレンタインにチョコレートを」フェア展開に乗り出した。1960年頃には、「バレンタインにはプレゼントを」「プレゼントにはチョコレートを添えて」という二段構えの提案だったのが、1960年代に「バレンタインと言えば、チョコレート」と簡略化される流れが造られていった。
既製チョコのプレゼントが定着した1970年代
そして1970年代に入ると、バレンタイン=チョコレートという共通認識がようやく社会的に醸成されていく。象徴的なのが、1972年2月10日付の朝日新聞のコラム「デザインの目」だ。
同コラムでは「二月十四日のバレンタイン・デーを特集している雑誌などでは『この日に手づくりのお菓子を贈りましょう』とすすめている」とある一方、「バレンタインデー用の既製品、たとえばハート型のチョコレートなどをお買いになる人がほとんど」という町の専門店の声を紹介している。
広告を含むメディアは「手づくり菓子」提案をしていたが、すでに実態は小売店での「チョコレートの販売・購入」となっていた。モロゾフから36年、メリーチョコレートから14年、さまざまなメーカー、販売店の思惑と施策を積み重ねた日本のバレンタインは1970年代にようやく日本社会に定着していった。