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日本独特の習慣にハマった「ホワイトデー」

 一方「ホワイトデー」はメーカー主導で展開された。1970年頃から、不二家やエイワといった製菓メーカーがそれぞれ「バレンタインにはお返しを」とキャンディやビスケットなどの販売促進にいそしんだ。直接のきっかけとなったのは福岡の老舗菓子店「石村萬盛堂」だろう。当初は「マシュマロデー」という名前だったというが、この提案は贈り物に対して、「返礼品を渡す」という日本独特の習慣に見事にハマった。最近では、都内の菓子専門店に話を聞くと「バレンタインよりも、ホワイトデーのほうが数が出る」という。

 ホワイトデー、義理チョコともに日本の社会に定着していったが、いずれもいわゆる「虚礼」そのもの。1998年には東京都庁が「義理チョコは香典のやりとり、出張時のみやげ」などと並び、「虚礼」とみなされ、義理チョコは禁止されることに。もっとも当時の報道によれば「都の『慣例・慣行点検委員会』(中略)の担当者は『本命までは禁止していません』」(1998年2月14日付朝日新聞)という流れも。是々非々で判断したということか。

近年は、カカオ豆からチョコレートバーになるまで一貫して製造を行う「ビーン・トゥ・バー」チョコの人気も高い ©文藝春秋

世相を表す変化――「友チョコ」「ごほうびチョコ」

 次なる変化は21世紀に入る頃、「友チョコ」の登場だ。すっかり日常に定着した義理チョコはこの頃になると、「バレンタインデーが友情確認の場にもなりつつある」(2003年1月16日付日本経済新聞)など女性同士の間でもやりとりが行われるようになる。

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 折しも時代は「失われた10年」と言われる平成不況直後。不況が蝕むのは家計だけではない。ゆとりがなくなれば、何かと気ぜわしくなり、忙しさから心を失う。女性たちは本命の本音を探ることに疲れ、義理もないのに同調圧力のように強要される義理チョコを放り出した。同性同士、もしくは性差を気にせず付き合うことのできる気やすい関係性の間でチョコレートをやりとりするようになっていく。

 バレンタインの位置づけも変わってきた。2006年頃から増えてきた自分のために自分の好きなチョコを買う「ごほうびチョコ」もすっかり定着した。

 いつの時代もチョコレートは世相を表している。終戦後には進駐軍のジープに子どもたちが群がり、高度成長期には、製菓業界の販促企画として活用された。そしていまやチョコレートは菓子業界のけん引車と言っていい存在だ。

 売り場を見れば、懐かしき板チョコから、ビーン・トゥ・バー(豆からチョコレートの生産までを一貫して手がけるスタイル)やチョコレートの成分比率が定められたアイテムまでまさに百花繚乱。普段からこれほどのバリエーションがあれば、もはやチョコレートにバレンタインというラッピングは必要ないのかもしれない。