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一生やっても達成できない

 こうした抽象的な理念や価値はじつは危ない。ドラマなどで見る「カネの話をしているんじゃない。誠意をみせえと言うとんのや」の「誠意」と同じである。また《「ありがとう』には上限がない。基準もない。日々、無限に頑張らなくてはならない。一生やっても達成されることはない」》。こう指摘するのは中村淳彦『ワタミ・渡邉美樹 日本を崩壊させるブラックモンスター』だ。ひとを無間地獄に追い詰める。

ユニクロ社長 柳井氏 ©getty

 そういえばユニクロに潜入取材した横田増生の著書にもこの手の話がある。ユニクロ感謝祭で用意したノベルティの数が気に食わない柳井社長が部長会議で「今回の数量ではお客様に感謝しているとは思えない」と不満をぶちまけるくだりがある(『ユニクロ潜入一年』)。あっちが「ありがとう」なら、こっちは「感謝」である。

 また別の著書では元幹部がこんな証言をしている。「柳井さんの話は意外なくらい具体性に乏しい。柳井さんが『ユニクロは、まだ世界レベルで見たら0点です』みたいな檄を飛ばして、幹部全員に『申し訳ございません』と答えさせる」(『ユニクロ帝国の光と影』)。

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 そう。抽象的な理念や基準は、ひとを服従させ働き続けさせる技術にもなるということだ。これこそが労働集約型をあえて選んできたワタミのノウハウだったのだろうと勘ぐってしまうところである。

渡邉語録のひとつ「夢に日付を」

 渡邉語録でいえば、「夢に日付を」というものもある。期限をもうけ、それを達成するために年・月・週・日の単位に落としていき、日々やるべきことを決めていくことを提唱する。期限を設けるのは正しいし、それを細かい単位にブレイクダウンしていくのも同様だろう。しかし渡邉の場合、少し過剰である。

©文藝春秋

「今日やることを確実につぶしていくことは、途中で降りることのできない戦いなのです」、「仮に40度の熱が出ても、やるべきことはやらないと夢は実現できません。たとえ風邪で会社を休んでも、心まで休めてはいけません。戦闘意識を失うな、ということです」(注4)。プロジェクト管理でいう「バッファーがない」状態、あるいは借金に追われるがごとく、夢に追われる日々。文字通り悪夢である。

『新板 夢に日付を!』の冒頭にはこうある。「『感動できたことに感動できなくなった』『大人になって感動することが減った』などというのは、人として後退している証拠かもしれない」。

 面白いことに堀江貴文は『多動力』で逆のことを言っている。飽きるのは成長の証だと。渡邉の場合、飽きるのは逃げなのかもしれない。渡邉と対照的なのはそれだけでない。ホリエモンは下積みはいらず、見切り発車でいいという。なにしろ大学在学中に起業したホリエモンである。いっぽう渡邉美樹はどうか。