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「地方でのんびり暮らす幻想」VS「都会で消耗している日常」は本当に二項対立か

都会では顔も知らぬ他人によるムカつく事例がたくさんあります

2019/02/28
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人間は意外と自由ではない

 地方に仕事がないのでカネがなくなって地方からむしろ出られなくなる、という話は確かに耳にしたことがあります。都会から地方に移って幸せに暮らすロールモデルもさることながら、地方でヤンキーにまみれて生きていくのに失望して都会に出たくても、カネも仕事もツテもないなかでどうやって出て行けばいいのか方法すら見つからない、沈没していく人間関係の悪循環みたいなものは、西原理恵子さんの本なんかでも繰り返し出てくるところで、意外と人間は自由に移動することなんかできないんじゃないか、と思うわけであります。

 先日、地方創生の伝道師みたいな存在の木下斉さんが「定住」の概念の変化なんてことを書いておられて、言われてみれば、資産があるか、仕事がポータブルでさえあれば、馬場未織さんの言うような週末は地方で暮らす生活もできるんじゃないかと思ったりはするんですよ。

「定住」の概念変化。仕事、居住、移動。 (No.1011)――経営からの地域再生・都市再生
http://hitoshikinoshita.livedoor.blog/archives/123256.html

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人生に立ちはだかる何か凄いダークマターみたいな

 でも、どうしても立ちはだかるのは子どもの教育と介護、そしてなんだかんだ仕事を含めた人間関係でありまして、幸せな地方生活を夢見ても「子どもの塾はどうするの」「親に何かあったら」などなど、いまある生活の基盤を地方に伸ばしていくことのむつかしいことといったらありません。転職のときの「嫁ブロック」とは比べ物にならないぐらい、この生活をより良いものにするためにどうお引っ越しをし、都会の暮らしやすさと地方の過ごしやすさを人生にどう取り込んでいくのかは思案のしどころであります。

©iStock.com

 これが、気楽な独身時代であればどんなに身軽だったろう。家内には家内の仕事や人間関係があり、子どもたちには各々やりたいことや未来が詰まっていて、私が都会暮らしに違った風を家庭に送り込みたいと思っても、「週末ぐらいはゆっくりさせてよ」「塾の宿題が終わってないじゃない」「親父を整骨院に連れて行かなくちゃ」という人生に立ちはだかる何か凄いダークマターみたいな億劫なことがあって、理想の田舎ライフの探求とか言っている場合じゃなくなるわけであります。

 佐々木俊尚さんと小林希さんが書籍で『多拠点生活のススメ』とか煽ってくるたび、よくロールプレイングゲームとかで村人が「俺もお前のような冒険者だったんだがな。膝に矢を受けてしまってな」みたいな冒険しない言い訳めいたことを自分の頭の中でぐるぐると巡らせて、事故で動かない激混みの中央線で石化しながら「田舎暮らしいいなあ。田舎暮らし」と呪詛のような現実逃避を繰り返しているのであります。

 こういう我慢を重ねながら、都会で消耗して朽ちていくのでありましょうか。

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「地方でのんびり暮らす幻想」VS「都会で消耗している日常」は本当に二項対立か

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