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芸名「明石家さんま」はこうして誕生した
実家がさんまの加工工場だったことから、名づけた芸名が笑福亭さんま。
「考えるのは邪魔くさいからね。タレントとして生きていけるよう、『(名字を)明石家にしいな』と改名させました」
松之助の見立て通り、さんまの才能はテレビで開花した。
「昔からよく喋る、喋る。好きなんですわ。僕らは仕事以外じゃ疲れるからよう喋らんけど。好きなことが仕事になっているのは有難いこと」
さんまが60歳での引退を予告したときも、松之助はすぐ撤回すると見抜いていた。
「引退すると言えばお客さん引っ張れる。ああいうところは天才的ですわ。あいつが世間に向けて言うことは全部ウソ。本心は家帰って電気消して寝る前にならんと自分でも分からんのと違いますか?」
息子のような存在かとの問いには「そんな関係ではない。私は薄情ですから(笑)。弟子と言ってももう教えることないし、言うて見たら向こうが師匠ですわ」と、嬉しそうに語った松之助。晩年は弟子を取ることなく、さんまらの活躍を見守っていたという。