2020年春にはじまるNHK連続テレビ小説「エール」の主人公のモデルに、作曲家の古関裕而とその妻・金子が選ばれた。

「エール」で主演をつとめる俳優の窪田正孝 ©時事通信社

 古関裕而? ああ、「紺碧の空」「六甲おろし」「闘魂こめて」「栄冠は君に輝く」「オリンピックマーチ」などの作曲家か。なかなか大物じゃないか――。各種の報道をみて、そう納得したひとも多かっただろう。それはまったく間違いではない。

 だが、古関には「あまり紹介されない一面」が存在する。それは、かれが軍歌作曲の名手であり、戦時下最大のヒットメーカーであったという部分である。

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 これは誇張でもなんでもない。きっと、知れば知るほど「朝ドラでどう処理するのだろう……。NHKは軍歌をジャンジャン流すのか?」と心配になってくるはずだ。

 そこで以下では、古関と軍歌の、切っても切れない関係を掘り起してみたい。

戦時下のヒットチャートで1位を獲得

 まずは、太平洋戦争たけなわの、1943年8月から1944年8月までのレコード販売枚数をみてみよう。これは、いわば戦時下のヒットチャートである。

(1)「若鷲の歌」(日蓄)、23万3000枚

(2)「轟沈」(日蓄)、8万1000枚

(3)「索敵行」(日蓄)、6万5000枚

(4)「大航空の歌」(日蓄)、5万枚

(5)「別れ船」(大東亜)、4万3000枚

(6)「暁に祈る」(日蓄)、4万1000枚

(7)「空の神兵」(日響)、3万3000枚

(8)「大アジヤ獅子吼の歌」(富士)、2万6000枚

(9)「唄入り観音経」(富士)、2万4000枚

(10)「学徒空の進軍」(日響)、「月月火水木金金」(大東亜)、「大航空の歌」(日響)、「荒鷲の歌」(日響)、2万2000枚

©iStock.com

 この時期は、国策会社によってレコード販売が一元的に管理されていた。そのため、このような数字が明らかになっている。なお、日蓄はコロムビア、日響はビクター、大東亜はポリドール、富士はキングレコードの当時の称だ。

 このうち古関の作品は、1位の「若鷲の歌」と6位の「暁に祈る」。合計すれば、27万4000枚にものぼる。

 ほかにも2曲ランクインしている作曲家がいるものの、古関の数にはとうてい及ばない。これだけでも、かれが戦時下のヒットメーカーだったことがわかるだろう。