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福島市に歌碑も立つ「暁に祈る」

 歌にも簡単に触れておこう。「若い血潮の予科練の~」の歌い出しで知られる「若鷲の歌」(作詞:西条八十)は、1943年公開の東宝映画『決戦の大空へ』の主題歌である。

 歌詞のとおり、海軍飛行予科練習生(予科練)をテーマにしており、古関はかれらに取材もして、この曲を完成させた。

古関裕而氏 ©共同通信社

 23万3000枚という売り上げはやや物足りなく感じるかもしれないが、当時のSPレコードは直径25センチもあり、製造コストが高かった。戦争末期だったことも考え合わせれば、けっして少ない数ではない。

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 いっぽう、「あゝ、あの顔で、あの声で~」の歌い出しで知られる「暁に祈る」(作詞:野村俊夫)は、1940年公開の松竹映画『征戦愛馬譜 暁に祈る』の主題歌である。映画こそ鳴かず飛ばずだったが、出征兵士の心意気をたくみに歌った主題歌はロングセラーとなった。

 ちなみに、作詞者の野村、作曲者の古関、そして歌手の伊藤久男はすべて福島県出身だった。そのことを記念して、福島市内には現在「暁に祈る」の歌碑が建てられている。

日中戦争の初頭には60万枚のヒットも

 古関の活躍はこれにとどまらない。さかのぼれば、日中戦争が勃発した1937年にも大ヒット曲を世に送り出した。日本を代表する軍歌、「露営の歌」がそれだった。

 毎日新聞(当時は大阪毎日・東京日日新聞)は、日中の軍事衝突を受けて、軍歌の歌詞を懸賞金つきで公募した。「勝つて来るぞと勇ましく~」ではじまる「露営の歌」(作詞:藪内喜一郎)は、その佳作第一席に選ばれたものだった。

 その作曲のエピソードがなかなか振るっている。古関は満洲旅行の帰路、毎日新聞を手に取り、たまたま「露営の歌」の歌詞を目にした。そして「汽車の揺れるリズムの中で、ごく自然にすらすらと作曲してしまった」。

©iStock.com

 古関は「急ぎの作曲がある」とコロムビアよりいわれていたので、東京に到着するや同社に向かった。するとそこで、なんと「露営の歌」の作曲を依頼された。古関は驚きながらも、譜面を取り出した。「それならもう車中で作曲しました」。これに担当のディレクターもびっくり仰天した――。これが古関の語る作曲の経緯だった(自伝『鐘よ鳴り響け』より)。

 できすぎな気もするが、「露営の歌」はみごとに大ヒットし、レコードは約半年で60万枚も売り上げた。人気のあまり、続編の「続露営の歌」や、特徴的な前奏部分に歌詞をつけた「さくら進軍」という歌まで作られた。