春は上京の季節。ピースの又吉直樹が東京に出てきたのは18歳の時。又吉にとって実家を出ること、親元を離れることには大きな意味があった。「ここではないどこか」へ行きたいともがいていたあのころの記憶と、相方・綾部のように海外に行かない理由を語る。(全2回の1回目/#2へ続く)
◆ ◆ ◆
――又吉さんは昨年、『書を捨てよ町へ出よう』(原作・寺山修司、演出・藤田貴大)に映像出演されました。寺山修司はよく上京についてエッセイに書き記してますけど、又吉さんが最初に上京されたのはいつですか?
又吉 最初は18歳のときですね。高校を卒業する前に、ひとりで東京を見にきたんです。銀座7丁目劇場がどこにあるのか確認して、「オーディションを受けれないですか」と吉本の人に聞きに行って。そのときは新幹線でしたけど、そのあと養成所の面接を受けるときは鈍行に乗り、十何時間かけて東京に出てきました。養成所に入ることになって実際に引っ越すときは、前の相方の親父さんが車を出してくれて、そこに原付や荷物を積んで上京しましたね。
――前の相方である原偉大さんとは同級生で、2人とも大阪出身ですよね。大阪にも養成所はあるのに、どうして上京されたんですか?
又吉 最初に東京の劇場を見に行ったとき、惹かれる部分があったんですよね。相方は「大阪やと実家やし、お金もかからんから大阪でやりたい」と言ってましたけど、なんとか説得して東京の養成所に通うことになりました。今考えると、家を出ることが重要だったんだと思います。実家にいながら何かを表現するのは、僕のタイプとしては向いてないなと。すごく温もりがあってクッション性が高い家というわけでもないんですけど、実家を離れて、親も友達もいないところで暮らすことが必要だったんです。大阪で芸人やり始めたら、ちょっと「アカンかも」と思っただけで辞めてた可能性もありますね。上京した頃の感情を整理していくと、脱皮みたいな感覚だったんじゃないかと思います。
なぜサッカーを辞めて芸人を目指したのか
――高校3年間はサッカーに打ち込んでたのに、サッカーを辞めて芸人を目指すというのも、脱皮といえば脱皮ですね。
又吉 そうですね。先輩も同期も後輩も、大学や社会人になってもサッカーを続けることを前提として、3年間ずっと部活をやっていて。その道筋から外れるのは勇気が要ることなんです。部活のしんどい練習に耐えられるのは、それが自分の進路に繋がっていく確証がある程度はあるからやと思うんですよね。それがない人は、夏ぐらいで引退するんですよ。秋冬まで部活を続けてたのに、サッカーをやめるというのは、皆からすれば「じゃあ何でしんどい思いを続けてたんだ?」と思ったでしょうね。