偶然と捉えるか、必然と捉えるか、それによって人生は大きく変わってくる。カープの新外国人投手であるカイル・レグナルト。もちろん後者である。
日本球界への挑戦が決まると、野球の情報収集はもちろんのこと、箸を使うことにもトライしてみた。入団会見前には、ラーメンを食べた。広島のソウルフードであるお好み焼きへも関心を示した。これは、単なるエピソードの羅列ではない。日本での野球人生を成功させるための、努力の一端なのである。しかし、陽気な性格だけに、そこに悲壮感はない。極めて自然に、新たな環境へアジャストしているのである。
武器はハンマーカーブだ。ハンマーを振り下ろしたような落差と力強さから、この愛称がついたという。実際、日南キャンプでは、長野久義から三振を奪い、魔球はカープファンの知るところとなった。
友人の父親に教わった魔球「ハンマーカーブ」
アメリカ合衆国北東部のロードアイランド州、全米50州の中で面積が一番小さい州である。ここでの少年時代をレグナルトは忘れない。
「今でも鮮明に覚えています。球場から少し離れた場所で、ボールの握りを教わりましたね。ちょうど14歳のときでした」
ハンマーカーブを教わった日のことである。レクチャーしてくれたのは、ギャリー・ゲルヒニさん、友人の父親である。
「野球チームのコーチである彼に教わって、凄く強いカーブが投げられるようになりました。握りは、人差し指よりも中指寄りに感覚を持っていくようにしました。投げ方も少し横からにして、カーブのキレが良くなったと思います。投球の幅は明らかに広がりました」
ゲルヒニさんはフルタイムのコーチではない。むしろ、今は、皮膚の再生などの研究でビジネスにおいて成功している人物である。それが、プロ選手の人生を変えるのだから、人生は面白い。
人生を大きく変えたゴルフコースでの出会い
メジャーリーグのドラフトで指名されることはなかったが、「偶然」が彼の野球人生を導いていった。独立リーグでプレーしながらチャンスを探るレグナルトは、シーズンオフにゴルフコースでアルバイトをしていた。2013年、そこにニューヨーク・メッツの投手コーチがやってきてラウンドしていた。周囲に背中を押されて、彼は、自己紹介をした。のちに、レグナルトは「ピッチングを見てみたい」とテストに呼ばれた。すぐに契約には至らなかったが、彼にとって大きな一歩であったことは間違いない。
独立リーグでも懸命に投げた。練習にも妥協しなかった。シーズンオフ、練習環境が整わない期間もレグナルトは全力だった。
「フロリダに住んでいて、周囲に練習相手の知人もいないことがありました。そのときは、川の近くに行って、ボールくらいの大きさの石を川面に投げていました」
2015年、彼はメッツとの契約を勝ち取った。「ブルペンで投げたとき、肩が仕上がっているなと言われました。それもそのはず、オフも川で石を投げて肩の強度を保っていましたからね」。リップサービスと実直の境界線が私にはつかめないが、彼の懸命さは大いに伝わるエピソードだと思う。
メジャーでの登板は叶わなかったが、マイナーリーグでは通算154試合に登板、主に中継ぎとして16勝をマークした。