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「昭和」のときも同じような……
「たいら」も「なる」もわからないことはないだろうとおもいもするが、とにもかくにも「昭和」に馴染みきった世の中に対しての発表としては功を奏したといえる。
そういえば「昭和」についても、似たエピソードがある。事前に新元号をすっぱ抜いた新聞記者が会社に電話をして、それを伝えようとするのだが……。
「昭和というんです」
「なに?」
「昭和です」
「正直の正か? 平和の和か?」
「いや日へんにおめしの召しっていう字です」
「なに、そんな字があるのか」
―――猪瀬直樹『天皇の影法師』より
当時、「昭」という文字はまるで見慣れない漢字であったのだ。たしかに「昭」を用いる一般名詞は思い浮かばない。
「大正生まれですが、昭夫と申します」
そういえばこんな逸話もある。久世光彦が「週刊現代」での連載に、昭の字は年号が昭和になってはじめて知られた字なので「昭」を用いた名前は昭和以降の生まれだと書く。すると後日、「私は大正10年の生まれですが、昭夫と申します」と綴られた手紙が届いた。差出人の名は盛田昭夫、ソニーの創業者であった。名付けの際、「昭和」と同様に漢籍から「昭」が選ばれたのだという(注4)。
新たな元号は耳にも目にも、どうしたって慣れないものだ。慣れる慣れないは時間が解決するが、厄介なのは在位中に考えたり決めたり発表したりするのはけしからんというひとたちである。「平成」改元のおりには、昭和天皇が病に臥せていたこともあって、前述の的場は「右寄りの人は『陛下のご存命中に元号を考えるなんてけしからん』と言うし、左寄りの人は『元号なんてなくていい』」(注5)と言っていたと嘆く。