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「日本を離れて『日本』が大好きになった」13年前にイチローが語った日の丸への思い

イチロー独占インタビュー

2019/03/26
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王監督の覚悟を感じて

 イチローは1973年10月22日、愛知県生まれである。愛工大名電高から92年にオリックス・ブルーウェーブに入団。プロ野球選手としてのスタートを切った。文部省によって、学校の入学式や卒業式などの行事で日の丸の掲揚と君が代の斉唱が義務付けられた90年は、イチローが愛工大名電高の2年生のときだった。世代的にはギリギリ日の丸、君が代義務化世代ということになる。ただ、学生時代は、まだそれほど学校での日の丸、君が代問題がクローズアップされていなかったこともあり、個人的な体験として日の丸の印象が希薄なのは仕方ないかもしれない。

オリックス時代のイチロー選手 ©文藝春秋

――WBCのときに日本代表という立場から、その象徴として日の丸を背負うというのがあったと思います。そのことはプレーする上でプラスになったり、逆にマイナスになったりしたことはありましたか?

イチロー それは比較対象がないので……。ボクは(日本代表として試合に臨んだのが)今回が初めてだったし、それはなんとも言えないですね。

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――チームがまとまっていく上で日の丸のもとでというのは、一つの方法論としてあったと思いますか?

イチロー 方法論ですか?

――まとまっていくためのキッカケとしてでもいいです。

©文藝春秋

イチロー ボクは最初は少なかったと思いますね。それほどでもなかったと思います。日本ラウンドのときは。アメリカに行ってまあ、審判の問題(※)があったりして、盛り上がりましたよね、確かに。あそこから、そういうものが表れたというのはあったと思いますね。その相手がアメリカだったというのも大きかったと思います。

※二次リーグのアメリカ戦。3対3の同点で迎えた8回一死満塁、岩村の左飛で三塁走者の西岡がタッチアップして日本に一度は勝ち越し点が刻まれた。しかし、米国側の抗議でボブ・デビッドソン主審はタッチアップが早かったと判定を覆し、日本の得点が認められなかった。試合は米国がアレックス・ロドリゲス選手の安打でサヨナラ勝ちを収めた。

©文藝春秋

――誤審騒動……。

イチロー ボクは誤審とは言わないですけどね。あれが例えば、相手がメキシコだったら違ったかもしれませんね。あの相手がアメリカだったことで、多分、世の中の人も、やっぱりボクらは昔からメジャーリーグというのが最高峰、一番レベルの高いところだと思ってきたし、現在も、昔とは多少、温度差があったとしても、位置づけとしては多分、そうですから。アメリカに勝つということが、今回、ひょっとしたら世界一になることよりも重要だったかもしれない、日本人にとってはね。で、ああいうことが起こって一気にそれが……気持ちが高ぶっていったというのはあるかもしれませんね。