日の丸を背負う意味
WBCを通してイチローのイメージは変わったと言われる。
それまでのイチローは自分の世界に他人を踏み込ませない孤高のアスリート、ある意味、近寄りがたい鎧をまとっているようなイメージだった。しかし、WBCでのパフォーマンス、チーム内での言動が伝わってくるに従い、これまでのプレーヤーとしての評価だけでなく、新たにリーダーとしての評価が高まっていった。
日本代表のためにグラウンド上だけでなく、様々な局面で献身的に行動するリーダーとしての評価。日本人メジャーリーガーのもう一人の代表ともいえる松井秀喜(ニューヨーク・ヤンキース)が、個人的な事情からWBCへの出場を辞退したことで、それはより一層、際立ったようにも見えた。
そうした背景の中で、イチロー自身もこのWBCを通じて改めて、自分自身の戦う意味を問い直していたのではないだろうか。
イチローの所属するシアトル・マリナーズはここ数年、優勝争いから見放され下位に低迷するシーズンが続いている。その中でイチロー自身は自分の最高のパフォーマンスを求めて、練習を続け、試合に備え、プレーを続けてきた。その結果がメジャーでも特別な記録となって残っている。
プロのアスリートはもちろん、数字との戦いを第一義とする。イチローにとりメジャー挑戦の1年目から、ずっとこだわり続けているのはシーズン200本安打だった。「まず自分ありき」というのは、アスリートとしてこだわり続ける目標があるからだ。
同時にアスリートたち、特にプロフェッショナルなアスリートたちの戦いには「勝つこと」、そしてその「勝ち方」へのこだわりも常についてまわる。ただ、野球をはじめとするチーム競技の場合は、個人のパフォーマンスをどれだけ上げても、それがチームとしての結果に直結しない場合もあるというジレンマを秘めている。現にマリナーズでのイチローは、プレーヤーとしてのあり方にことのほかこだわり、その中で安打を打ち続けている。しかし、チームとしては「勝ち方」にこだわる以前に、勝つことすらできない現実を突きつけられ続けているのだ。
自分のパフォーマンスをいかにチームとしての結果に結びつけるか。それはすなわちイチロー自身が、グラウンドに立ち、戦うもう一つの意味を、自問することだった。
今回のWBCの日本代表は、当初はその結束に、チーム内からさえも疑問の声が投げかけられるほどだった。WBCという大会そのものが、初の試みであり、その位置づけを疑問視する声があったのも大きい。
その中でイチローは王監督がチームの指揮を引き受けた決意の重さに、戦う意義を見出していた。そしてその戦いとはグラウンドの中でヒットを打ち、盗塁を決め、ファインプレーをするだけではなく、日本代表としての「勝ち方」にもこだわっていた。当初は集まった意義すらも見えないままだったチームに、イチローが絶えず示し続けたものは「日本代表」としての強い意志だった。
イチローはことあるごとに国を代表して戦う意味、日の丸を背負う意味をチームの中で説いてきた。最初は“イチロー・チルドレン”といわれた川﨑宗則(ソフトバンク・ホークス)、西岡剛(千葉ロッテ・マリーンズ)、青木宣親(ヤクルト・スワローズ)らの若手選手に語りかけることで、その波は少しずつ広がっていった。“30年発言”も、アジアの中での日本野球の立場をチーム全体に再認識させるためのパフォーマンスだった。スパイクに入れた日の丸にも、本人の意思とは別に、チームに対して何らかの形で影響を及ぼすものがあったかもしれない。
「ボクらはここ(袖)に日の丸をつけていること、たとえスタンドにそれがなかったとしても日の丸について、やっぱりボクらは重いものを感じていたと思いますね、ここについていたことで」
インタビューの中でイチロー自身はこう語っている。今回のWBCの戦いの中でイチローが感じていた日の丸の意味の重さだった。そしてイチロー自身もその重さを自覚し、その意味を語りかけることでチームの輪の中心となり、これまで見せなかった新たな一面を周囲に示すことになった。イチローは変わったのではなく、ずっと隠れていたイチローが、日の丸を背負うことによって見えてきた、というほうが正しいのだろう。イチローにとっても、それは初めての経験だったかもしれない。
こうした現象はWBCにおけるイチローだけに限られたものではなかった。
日の丸のために戦う――。アスリートたちが国際舞台に立ったとき、そのことを意識することは何らかの形でパフォーマンスに影響を及ぼすものなのだ。それは個々のアスリートにとっては、今までの自分とは違う自分、新しい可能性との出会いでもあった。