新入生の皆さん、大学/大学院入学おめでとうございます。神戸大学アジア総合学術センター長として、全国の新入生の皆さんをお祝いしたいと思います。

 皆さんが、この場に一堂に集うまでには、様々な苦労があったと思います。学校や塾での受験勉強、緊張して迎えた入学試験、そして合格発表の日にはウェブサイトに自分の受験番号が表示されるかどうか、ドキドキしながら待っていたかも知れません。皆さんが、こうしてこの場に集う事ができたのは、そうして皆さんの努力が叶ったからに他なりません。

全国の新入生の皆さん、入学おめでとうございます ©iStock

人生を大きく左右する「自分だけの大学/大学院生活」の設計

 そして、今日、皆さんの大学/大学院生活がはじまります。新しいはじまりは同時に、一つの終わりを意味しています。これまで皆さんは、時に模擬試験の結果に一喜一憂し、またセンター試験の自己採点をしながら様々なことを考えたでしょう。高校を卒業したばかりの人は、卒業式で友達との別れに涙したかも知れません。

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 しかし、それはもう「過去」の話です。模擬試験の結果、センター試験の点数、そんなものは大学に入ってしまえば、何の意味もありません。例えば、大学/大学院では卒業や修了の為には、授業を一つずつ履修して、単位を取らなければなりません。そして、皆さんの大学生活は、「ゼロ単位」からはじまります。それはどこかのとても有名な進学校を卒業した人も、大学への進学者がほとんどいない学校からやってきた人も、お金持ちの人もそうでない人も、日本人学生も留学生も、皆、同じです。

 そして皆さんは、これからの大学/大学院生活を「ゼロ単位」から作っていきます。例えば、神戸大学には1000人近くの教員がいますから、皆さんが取れるかも知れない授業は何千もあることになります。何千です。勿論、沢山のクラブやサークルがあり、学外にも大学/大学院生が活躍できる場は沢山あります。新入生の皆さんはまだあまり知らないかも知れませんが、大学は国内外の大学と沢山の協力協定を持っています(私がいるアジア総合学術センターはこのうちアジアの諸大学との交流を受け持っています)から、その気になれば留学して海外の大学の授業を取ったり、国内の他大学の授業を受けたりすることもできます。

 皆さんはこの無数に存在する機会から「自分だけの大学/大学院生活」を設計していかなければなりません。大学/大学院を卒業した皆さんの多くは、どこかに就職する事になるでしょうから、この「自分だけの大学/大学院生活」の設計は皆さんの人生を大きく左右する事にもなるでしょう。そしてこの作業は、この入学式直後からはじめなければなりません。

「私が思っていた大学生活じゃない」と思うこともあるでしょう

 とは言っても、皆さんはこう思うかもしれません。自分は今日、大学/大学院に入ったばかりで、大学の事なんか何も知ってはいない。そんな自分にいきなり「自分だけの大学/大学院生活」を設計しろ、なんていうのは無理に決まっている、と。

 そうです。皆さんは、大学/大学院に入ったばかり。どんな授業が行われ、どうやって選べばいいのかすら、わからないでしょう。だからこそ、皆さんは今日、この後行われるガイダンスをしっかり聞かなければなりませんし、わからない事があったら、今のうちに質問しておかなければなりません。

 でも、この大学と言う場の全てをいきなり理解する事はできませんし、限られたガイダンスの時間では、全ての事が伝えられる訳でもありません。そもそもこういう私は今の大学に勤めて既に22年になりますが、それでも他の学部や研究科でどんな授業が行われ、どんな風に学生さんが学んでいるのかは全くわかりません。大きな大学は一つの街の様な存在です。我々が自らの住む街の全てを知り尽くす事が出来ない様に、大学の全てを知り尽くす事など不可能だからです。

 だから、この先、皆さんは様々な間違いも起こす事になります。意気込んで臨んだ授業は皆さんの想像したものと違うかもしれません(シラバスをよく読んでください)。授業の抽選に敗れて希望した講義が取れない場合もあるでしょう。テレビで見て憧れた「有名大学教授」は講義で見れば、ただの一生懸命若作りした痛い中年男性かも知れませんし、勧誘されて胸をときめかして入ったサークルやクラブは、先輩たちが愚痴を言いながら飲み歩くだけの駄目集団かも知れない。慎重に選んだ筈のアルバイト先はブラック企業かも知れませんし、中には、授業やサークルで出会った異性に突撃して、一瞬で撃墜される人もいるでしょう。特に中高6年間を男子校や女子校で過ごし、異性への免疫がない人は注意が必要です。

 そんな時、皆さんは思うでしょう。「これは私が思っていた大学生活じゃない」。しかし、それは当たり前なのです。皆さんは大学がどんなものかを知らないまま、大学生活について考えてきたのですから、現実が想像と違っているのは当たり前なのです。