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小室圭さんへの反感は、何を意味するのか
しかし一方で、秋篠宮眞子内親王と小室圭さんの婚約をめぐる騒動以降、こうした流れに反する動きも出ている。ネット上では、小室さんへの批判にとどまらず、秋篠宮家、そして平成の天皇制に対する批判も展開されている。二人の「恋愛結婚」が否定的に捉えられ、それを容認しない人々は、二人の自由な意思を引き裂いてもこの結婚を認めない感情で批判を書き連ねている。
また、そもそもなぜ小室さんを結婚相手として容認してしまったのか、「身体検査」はしなかったのかなど、そうした批判が秋篠宮家に対してなされる。とはいえこれは、明仁天皇の退位を基本的人権の立場から聞いたという態度とは反対に、皇族を私たちとは異なる特別なものとして捉える発想ではないだろうか。
このような「なぜ小室さんを結婚相手として容認してしまったのか」といった眞子内親王と小室さんの婚約をめぐる騒動に対する批判の声は、裏を返せば、人々に近しい存在としてあり続け、人々の支持を取り付けることで成り立ってきた平成の天皇制のあり方の帰結を示しているという見方もある。小室さんへの反感が、戦後の皇室が歩んできた道への“揺り戻し”のような状況を生み出しているのである。
基本的人権から退位を容認する人々、一方で恋愛結婚を否定する人々。そのアンバランスさが今、皇室を見る人々のなかに同居している。