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新元号は「令和」に 平成皇室のフィナーレと眞子さまのご結婚で揺れる“国民感情”を考える

かつて論じられた「若返り」退位、「思いやり」退位

2019/04/01
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2016年の「おことば」で、状況は大きく変化する

 それが、2016年に大きく変化する。明仁天皇の「おことば」のなかで、退位の意向が示されたからである。とはいえ、具体的に退位に関して言及しているわけではない。自身がこれまで行ってきた行動に対する強い自負心をにじませ、自身が模索してきた「象徴」としての行為は人々の期待や声に応えつつ行ってきたものであること、そしてそれを高齢という理由で減らされることはあるべき「象徴」ではなくなること、それゆえ「象徴」として次の世代にすべてを引き継ぎたいという意思を示した。

 それは、マスメディアにさらされながら常に「象徴」としてどうあるべきかを模索してきた明仁天皇の自負心であったのではないだろうか。彼がここで退位の意思を表明したのは、「象徴」としての「理想形」を求めてきたからであった。

2016年8月8日、「象徴としてのお務め」についておことばを述べられる天皇陛下 宮内庁提供

「象徴」としての模索は、人々の支持と意識に支えられたもの

 人々はその「おことば」を、高齢だから、疲れたから天皇を辞めさせてあげてはどうかという、昭和天皇の後半生で展開された退位論の論理、基本的人権の立場から聞いたように思われる。その意味では、戦争責任から解放され、皇室は人々により近しい存在となったのではないか。象徴天皇制・平成の天皇制の大団円が今回の退位であったとも言える。

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2009年11月12日、即位20年を祝う「国民祭典」をご覧になる天皇皇后両陛下 ©共同通信社

 在位30年記念式典での「おことば」のなかで「私がこれまで果たすべき務めを果たしてこられたのは、その統合の象徴であることに、誇りと喜びを持つことのできるこの国の人々の存在と、過去から今に至る長い年月に、日本人がつくり上げてきた、この国の持つ民度のお陰でした」と表現されている。自身の象徴としての模索は、人々の支持と意識に支えられたものであることを天皇が万感の思いで示しているのである。