山本の回だけは、全部自分でやらないと
制作に戻ってきたと言いつつも、その頃の僕は収録から編集までのすべてを直接演出する立場では携わっていなかったんです。でも山本の回だけは、全部自分でやらないといけないだろうと思って取り組みました。本当に難しい番組作りでした。でも宿題ですから難しくてもやらなきゃいけない。迷惑をかけた人もたくさんいて……。
「この状況、当たり前じゃねえからな!」って加藤の叫びにすべてが集約されていたような気がします。だって放送実現まではもう、社内外のあらゆる関係者の理解とか覚悟とかがあって、当時のスポンサーだって何の得もない。マイナスしかない。
本当に皆さんに申し訳なかったと今でも思います……ほらやっぱり血の味が混じっているんですよ(苦笑)。
ただ山本と再会した加藤やメンバーの顔を見られたその日から、より具体的に未来のエンディングを考えるようになりました。ざっくり言えば「あ、これで思い残すことはないな」って。その2016年の秋に、番組は20周年を超えて大きな区切りでもあったし……。『めちゃイケ』は、何が何でも終わってはいけないみたいな、ボロボロになるような戦い方ではなくて、終わるときもみんなの記憶に残るような終わり方をしていったほうが、見る人はもちろんですけど、メンバーやスタッフの明日にとってもいいんだろうなと。そういうエンディングノート的なことを自分の頭の中だけで考え始めたんです。
#2 「岡村さん、『めちゃイケ』…終わります」 片岡飛鳥が“22年間の最後”を決意した日 へ続く
#3 「早く紳助さん連れて来いよ!」 『ひょうきん族』で片岡飛鳥が怒鳴られ続けた新人時代
#4 「飛鳥さん、起きてください!」 『いいとも』8000回の歴史で唯一“やらかした”ディレクターに
#5 「160cmもないでしょ?」『めちゃイケ』片岡飛鳥と“無名の”岡村隆史、27年前の出会いとは
#6 「ブスをビジネスにする――光浦靖子は発明をした」『めちゃイケ』片岡飛鳥の回想
#7 「『めちゃイケ』はヤラセでしょ」という批判 フジ片岡飛鳥はどう考えてきたか
#8 「加藤のマラソンが間に合わない…」『27時間テレビ』片岡飛鳥がナイナイの前で泣いた日
#9 「僕が岡村を休養まで追い詰めた…」『めちゃイケ』
#10 「最高33.2%、最低4.5%」『めちゃイケ』歴代視聴率のエグい振り幅――フジ片岡飛鳥の告白
#11 「さんまさんを人間国宝に!」ネット時代にテレビディレクター片岡飛鳥が見る“新たな光”とは?
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※1 本田みずほ…1973年生まれ。吉本興業所属の女芸人。93年から始まった『めちゃイケ』の前身となる深夜のコント番組『とぶくすり』のレギュラーに抜擢される。アイドル風のルックスで「西のキョンキョン」などと呼ばれ、当時はナインティナイン、よゐこ、極楽とんぼ、光浦靖子というメンバーの中でもっとも知名度の高いタレントだった。
聞き手・構成=てれびのスキマ(戸部田誠)
写真=文藝春秋(人物=松本輝一)