最新鋭の気動車で「かもめ」は長崎へ乗り入れる
戦後「かもめ」の復活は1953(昭和28)年3月だ。列車名はひらがなに変わる。山陽・九州地方の特急復活の要望に応えて登場する。運行区間は京都~博多間。関門トンネルを走る最初の特急列車となった。東海道本線の特急復活に遅れること約4年。「つばめ」は東京~大阪間で復活していたけれど、その対となる列車は平和の象徴の鳥から「はと」と名づけられていた。「かもめ」は相変わらず日陰者だった。展望車はなく、客車の設備も格下だった。
1961(昭和36)年10月、「かもめ」はいよいよ長崎へ乗り入れる。しかも最新鋭の気動車が導入された。二等車1両、三等車4両、食堂車1両の6両編成で、京都~小倉間は2編成を連結した12両編成という立派な姿。小倉からは長崎行きと宮崎行きに分割した。この列車は好評で、のちにそれぞれの編成に三等車1両ずつを追加して、最大14両編成となった。
「白いかもめ」こと885系電車は、2000年に登場した
気動車特急の「かもめ」はその後、京都~長崎、京都~西鹿児島の列車となり、後に京都~長崎、京都~佐世保の列車となった。そして1975(昭和50)年に廃止された。山陽新幹線が博多まで延伸し、山陽本線内の在来線特急が大幅に整理されたためだ。
「かもめ」の2度目の復活は約1年後。1976(昭和51)年7月だ。長崎本線と佐世保線が電化され、これをきっかけに小倉~長崎間に特急「かもめ」7往復が設定された。以降、「かもめ」は長崎特急の看板列車として増発していく。一部の「かもめ」は小倉~肥前山口間で佐世保行きの特急「みどり」を併結した。その後、特急「ハウステンボス」も連結するなど柔軟な運用もみられた。「かもめ」ファミリーの誕生だ。
「白いかもめ」こと885系電車は、2000年に登場した。26往復の「かもめ」のうち、単独運転の16往復と博多~佐賀間の1往復で運用開始。「みどり」を併結する列車は783系電車とし、初代電車特急として走ってきた485系電車は引退する。また、2011年に「みどり」との併結運転は終了。「かもめ」は単独運転の列車となる。