美和は何度となく百福との接触を打診するが……
美和自身は32歳のとき、信仰が縁で12歳年上の仏教関係者と関係を持ち、1男1女をもうける。ただ「夫」には妻がおり、「夫」の母親に激怒されたため入籍はできず、いみじくも金鶯と同じような内縁関係に甘んじることとなった。
「夫」は稼ぎが悪かったため、美和は運転免許とタクシー運転手の営業許可証を取得。百福から援助された資金で日産車を購入し、60代を過ぎるまでの約20年間、子育てをしながらタクシー運転手として働いた。
1977年に百福と会ったあとも、美和は何度となく百福との接触を打診する。何としても百福の娘として公式に認めてもらいたい、父娘の絆をもっと深めたいという思い以上に、金銭を無心する目的もあったからだ。さすがの百福も次第に辟易したのだろう、彼はK秘書を間に立てて、美和との接触を明確に拒むようになった。
2005年、美和は弁護士を通じ、自身を実子として法的に認知するよう働きかけるが、業を煮やした百福は日清食品ホールディングスの顧問弁護士であるT氏を通じて美和の説得を図る。
「乙が甲との面会などについて強く拒否し」
筆者は、2006年1月にT弁護士が作った、美和が百福へ提出する「誓約書」の草案を入手したが、そこには百福の最後通牒とも言うべき内容がしたためられていた。
「第1条〈懺悔〉(1):甲(※美和)はこれまでの生涯、失敗し散財することを繰り返し、乙(※百福)との約束を破り続けてきたにも関わらず、金に困ると都度、第三者を介して乙に支援を求め、多額の金員を乙から援助し続けてもらったことに多大なる感謝をする」──の書き出しで始まる誓約書には、美和の「タカリ歴」が詳細に記載されている。
◇1959年(美和17歳):数万円(援助金として)
◇1975年(33歳):100万円(長兄の進学支援名目で)
◇同時期:36万台湾元(現在の約130万円、次兄の入院費名目で)
◇1977年(35歳):685万台湾元(現在の約2500万円、台北駅前のビル購入費用で)
◇1990年(48歳):50万台湾元(約180万円、起業名目で)
◇2003年(61歳):100万円(最後の支援という約束で)
◇2004年(62歳):1000万円(条件付き生前贈与で)──。
これらは全て美和個人が無心した金で、百福からの生活費や小遣いなどは含まれない。
さらに「今後いっさい、百福の生活環境を乱す行為は行わない」との約束を何度も反故にし、美和がたびたび百福の自宅や日清食品の本社を突撃しては面会や金品を迫るといった迷惑行為も列記されていた。
「乙が甲との面会などについて強く拒否し」という一文には、ある種の非情さを感じさせるが、「(甲は)以上のことを人間として心から恥じ、神仏に誓い懺悔し、同様のことを二度と繰り返さないことを誓約する」の強い表現で結ばれた「誓約書」の尋常ならざる内容からは、美和が生涯を通じて百福に執着し続けた狂気が垣間見える。
2006年末、美和はT弁護士から「百福氏は美和氏が実子であることを否定はしておらず、台湾の子女を経済的に支援するよう申し渡されている」と記されたファックスを受け取ったという。ただ、面会や電話の取り次ぎ、入院中の百福の見舞いが受け入れられることはなかった。