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警備員に包囲されつつ焼香

 2007年1月に百福は数えで97歳の生涯を閉じる。

 だが遺産の法定相続人リストには当然ながら、婚外子である美和の名はなく、彼女は直ちに日清食品大阪本社へ出向いてT弁護士らと直談判。最終的に1430万円の分与が提示されるが、「想定される額より遥かに少ない」と感じた彼女は合意を拒んだ。額としては遺産継承者16人のうち6番目に多いが、この不満は今も美和の中にくすぶり続けている。

 翌2月に日清食品は京セラドーム大阪で、葬儀委員長の中曽根康弘元首相や小泉純一郎元首相ら6500人が参列する社葬を執り行った。美和に密着した台湾日刊紙「蘋果日報」によると、喪服でドームに駆け付けた美和は「親族席に座らせて!」「実の娘として弔事を朗読したい!」「(異母弟の)安藤宏基社長に挨拶したい!」と訴えるが、安藤家は拒否。美和は結局、警備員に完全包囲されつつ一般会葬者のひとりとしてスタンド席の最上段から式を見守るほかなく、焼香の順番も最後だった。

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安藤百福の葬儀が執り行われた京セラドーム大阪 ©iStock.com

 百福の死去前後から美和の言動は「迷惑行為をしない」と誓った「誓約書」の内容に反してエスカレートし、メディアの前で公然と日清食品や安藤家を非難。遺産の増額を求めて台湾からたびたび大阪へ出向くようになった。

「そうはいっても私の子供たちの生活も楽ではないから、そうそう頼るわけにもいかない。タクシーの運転手を引退したあとは、不定期に家楽福(台湾カルフール)の清掃作業員や入院患者の付添婦をして収入を得ながら、日本行きの費用を捻出しているの。この頃(※2008年当時)は日清サイドと話し合うために、何カ月も大阪で粘った。滞在費用が底をつけば、リヤカーを引きながらダンボールやアルミ缶を集めてはお金に換えてね。当時はアルミの市場価格が今の倍以上あったから、1日で数千円を稼げたこともあったわ」(美和)

 当初は美和らの境遇に同情的だった台湾メディアも、次第に「浅ましい遺産争い」を懐疑的に報じるようになる。次兄・武徳の未亡人、呉許秀は台湾日刊紙「自由時報」に「美和らの主張が、安藤百福の台湾人親族の総意とは思わないでほしい。私自身は安藤家と争うつもりなどなく、弁護士の決定を静かに見守るだけ」との声明を発表している。

遺産詐欺の被害に

 結局、美和は遺産1430万円を受け取ることで安藤家と合意するのだが、あろうことか、このうちの1200万円を騙し取られてしまう。

 台湾ニュースサイト「ETトゥデイ」によると、百福死去の翌2008年、美和は日清食品から三菱UFJ信託銀行を通じ、1430万円を指定口座に振り込みたいとの連絡を受けた。その話を聞きつけた近隣住民のLは「日本に私のめいのCが住んでいる。彼女に手伝わせれば受領手続きも円滑に進むはずだ」と提言。美和、美和の息子と3人で台湾から日本へ赴き、Cと合流した。

 Cは美和に「日本国内の銀行口座なら1週間以内に振り込まれるが、台湾口座だと1カ月以上かかるそうだ。だから私の日本口座を使えば早い」と騙り、遺産の振込先をCの口座に指定させる。いぶかしんだ美和が数日後に預金通帳を確認すると、すでに1200万円がLのもとへ流れたあとだった。

美和が相続した安藤百福の遺産1430万円の振込通知書。「お受取人」欄にはCの名前が記されている(画像の一部を修正してあります) ©田中淳

 美和はただちに警察へ通報し、台湾桃園地方法院検察署(桃園地検)はLを詐欺罪で起訴。2012年に一審で懲役2年6月の有罪判決が下った。「5年以内に返す」との約束は今も果たされていない。