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連載『めちゃイケ』、その青春の光と影

「160cmもないでしょ?」『めちゃイケ』片岡飛鳥と“無名の”岡村隆史、27年前の出会いとは

フジテレビ・片岡飛鳥 独占ロングインタビュー#5

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初対面の有野と濱口は「挨拶もできない20歳の若者」

<『新しい波』とは1992年10月9日から始まった深夜番組。毎回、1組の若手芸人が登場し、30分かけてネタとトークを披露する贅沢な若手発掘番組だった。ちなみにビートたけし(1947年生まれ)、明石家さんま(55年生まれ)、ダウンタウン(63年生まれ)、ナインティナイン(70/71年生まれ)というように「お笑い芸人の新世代は“およそ8年周期”で出現する」という片岡の仮説において、その後も8年に1度の割合で制作され、若い出演者と若いディレクターの出会いの場となっている。>

 三宅さん(※2)や星野さん(※3)のような職人気質のディレクターと違って、吉田さんは元々プロデューサーとして新しい時代を作ろうとしてたんでしょうね。僕は「ウンナンはキミが作ったわけではない」「キミは総合演出の苦しみがわかってない」って言われて、すでに刺激されてるわけですから、ついては、こういう番組があるから、お前のタレントを作ってみないかと言われたら乗らざるを得ないわけですよ(笑)。気づかないうちに僕も吉田さんに上手くプロデュースされてたんです。

『新しい波』は、のちに『SMAP×SMAP』をつくった荒井(昭博)さん(※4)とか4人の若手ディレクターの持ち回りで制作するんですけど、あっという間にナインティナイン、よゐこ、極楽とんぼ、オアシズたちと出会えたわけですから、吉田さんに売られたケンカがなかったら今の僕はいない。人と出会って、人とものをゼロから作るというのは、こういう喜びなのかと知ったときに、この世界での自立心が芽生えてきたんです。

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 だから僕が監督として影響を受けているのは、三宅恵介と星野淳一郎なんだけど(→#3)、「演出バカ」にならないためのプロデューサー目線を与えてくれたのが吉田正樹という人なんです。

 ただ『新しい波』が始まって、演者は自分で探してこないといけない。でもその時は『やるやら』もまだ続いているわけです。忙しいなかで何とかしようと必死でした。4人のディレクターで回してたので、4週に1回は自分の番が回ってくる。最初は大阪の松竹芸能にいい若手がいると聞いて、稽古場に行ったときに出会ったのがよゐこやTKO、みんな20歳とかだったんじゃないかな。初めて会った有野と濱口はまともに挨拶もできないクセにやたらとおしゃれな若者でした。ネタも含めてそれまでの芸人のイメージとは全然違っていたというか。

 頭の上に黄色いタクアンを乗っけて、コントやるんですけど……内容は面倒くさいので検索してください(笑)。夜の飲み会でも酒をすすめたら「あ、僕らジュースでいいんで」ってシャットアウト。今の時代ならそういうキャラもいるけど1992年の若手芸人としてはとにかく新しいタイプで、まさに「お笑いヌーベルバーグ」って感じでしたよ。

 僕はその懐いてこない2人のことが逆に好きになって、すぐに『新しい波』に呼んだんです。でも来月は誰にする?ってなったときに、たまたま深夜にテレビを見てたら、ナインティナインが出ていた。

『新しい波』での美容室ネタ。客の有野が美容師の濱口に「タクアンにして…」「え…?」意味不明な頭のネットが、意味不明に新しかった ©フジテレビ